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1.バイオドジメトリー(生物学的線量算定法)
人体から採取できる生体試料(血液、尿、精子、歯など)や、脳波などの生理学的試料を材料として、被ばく線量を推定評価することを「バイオドジメトリー(または、biological dosimetry、生物学的線量算定法)」と呼ぶ。傷の付いた
二動原体染色体の分析を基にしたこの方法は、1960年代の中ごろから用いられてきている。この間、多くの加盟国の放射線防護計画の定常的な分析法にこの技術が改良され生かされている。
バイオドジメトリーの目的は、人体が放射線から受けた被ばく線量(とくに外部被ばく線量)を推定・評価することである。例えば、放射線作業、医療などの現場で、想定していなかったような原因や不注意などで事故的被ばくを受けた場合に、線量計を携帯していなかったり、携帯していても局所的な被ばく線量の評価しかできないことがある。このようなときに、被ばく線量をできるだけ正確に推定することを目的としている。
2.バイオドジメトリーの方法
バイオドジメトリーは、被ばくにより人体に現れた何らかの変化から線量を推定するものである。そのための指標としては次のようなものがある。これらと線量との関係を予め明らかにしておき、線量を推定する。
・血球(とくに
白血球)
・染色体異常
・体細胞突然変異
・脳波
・生化学的変化(核酸塩基代謝産物、アミノ酸量等)
・ヒト精子染色体
・生体物質(歯のエナメル質)の電子スピン共鳴吸収量
3.バイオドジメトリーの放射線事故時線量評価への適用例
過去に、実際の放射線事故の際にバイオドジメトリーを適用して線量評価した事例がいくつかある。以下にその例を挙げ、事故の概要と線量推定結果について述べる。
(1)ゴイアニア(ブラジル連邦共和国)における放射線被ばく事故
1987年9月にブラジル国ゴイアス州都ゴイアニア市において、廃院となった民間の放射線治療医院から医療用放射
線源(
137Cs:粉末状塩化セシウム、51TBq)が付近の住民によって持ち出され、廃品回収業者によって
解体された。その結果、多数の被ばく者や家屋・土壌の汚染が発生した。最初は不快感や嘔吐などの症状が現れたが、
137Cs線源による被ばく事故であることが分かるまでに2週間以上を要した。
住民らは放射線モニタを携帯していなかったので、線量評価のため、
バイオアッセイ、全身体外計測やバイオドジメトリーが行われた。対象者は0.1Gy以上の被ばくがあると考えられた110名で、バイオドジメトリーとしては抹消血リンパ球の染色体分析に基づく細胞遺伝学的線量評価として、二動原体染色体、動原体性環状染色体、無動原体性環状染色体の計数などが行われた。検査の手順はIAEAのTechnical Report No.260に従った。
線量評価の結果、1Gy以上が21名、その内8名が4Gy以上(7Gy以上は0)であった。死亡者は4名(38才女性5.7Gy、6歳女性6Gy、22歳男性4.5Gy、18歳男性5.3Gy)であった。249名が放射線被ばくを受け、そのうち多く被ばくした(1〜8Gy)28名が引き続き医療検査を受けている。
(2)サンサルバドル(エルサルバドル共和国の首都)における放射線被ばく事故
1989年2月にサンサルバドル共和国の産業用照射施設(医療用プラスチック製品放射線滅菌用の
コバルト60照射装置)において、2回にわたる作業者の被ばく事故が発生した。初めの被ばくは3名の作業者が照射作業中に生じたコバルト60線源格納容器の故障を直接手作業で修理しようとしたために生じた重度の被ばく(全身で3〜8Gy)であり、2度目の被ばくは修理が不完全であったために、その数日後に別の4名の作業者が受けた軽度の被ばく(0.1〜0.2Gy)である。事故の直接的原因は装置の故障であるが、根本的原因は国及び事業者の
放射線管理と教育訓練とが不適切であったことにある。また、線量計は携帯していなかった。重度の被ばくを受けた3名は、不快感、嘔吐、下痢、胃腸管障害、皮膚の火傷などの症状が出て急性放射線障害と診断された。隔離、輸血、栄養補給等により1名は回復、1名は右足の
壊死による切断はあったものの生存、残りの1名は右足切断の後死亡した。
被ばく線量の推定はバイオドジメトリーにより行った。抹消血の細胞遺伝学的解析は米国の放射線緊急支援センター REAC/TS(下注参照)の指導下で行われた。ここでは非相称型染色体異常を指標とした。線量−効果関係の規準式は
IAEA方式に従った。その結果、全身で3−10Gy、局部的には200Gy以上の被ばくをしたと推定された。線源の位置と姿勢の関係で、頭部よりも下肢部の方が3〜10倍も多い線量であった。
(注)REAC/TS(The Radiation Emergency Assistance Center/Training Site)は、放射線事故に伴う医療・保険物理的な相談と支援、線量評価、放射線事故の登録、教育・訓練を行うことを目的として、米国オークリッジ地区大学協議会が運営管理するオークリッジ科学教育研究所の中の医学部門に1976年に創設された。エネルギー省の管轄下で運営されているが、米国以外の国も支援を仰ぐことができる。
(3)タンミク(エストニア共和国)における放射線被ばく事故
1994年10月、エストニアのタンミク(Tammiku)において、3名の兄弟が廃棄物貯蔵場に入り、
137Cs線源の入った金属容器を運び出した。運び出す間に線源が地面に落ち、一人が線源を拾い上げポケットに入れ近くの村の家に持ち帰った。貯蔵場に入って間もなく気分が悪くなり、数時間後に吐き始め、12日後に亡くなった。
その後も家に線源があり、妻と息子それに曾祖母が被ばくしている。約1ヵ月経過して放射線によるものだとの判断が下された。線源の回収までに1ヵ月以上経っていることと、エストニアでは放射性廃棄物の処理ができないため、その後の対応に苦労する結果となった。モスクワの熟練した研究者による初期段階の評価では、線源の放射能は3.33TBqの
137Csであった。その後、家にあった磁器の皿と電球の金具を用いて、熱ルミネッセンス法(thermoluminescence:TL)、電子常磁性共鳴法(Electron Paramagnetic Resonance:EPR)、化学発光分析法(Chemiluminescence:CL)により線量評価を行った。生物学的線量評価としては、血液試料の18項目について染色体異常分析法(Chromosomal aberration analysis:CAA)と赤血球中の突然変異のグリコホリン(Glycophorin A:GPA)をピッツバーグ大学で実施した。また、歯の試料を用いてEPR法による評価も行った。これらの異なる方法による居住者の全身被ばく線量(Gy)の評価を
表1に示す。
(4)チェルノブイル原発事故における放射線被ばく事故
1986年4月にウクライナ共和国(旧ソ連)のチェルノブイル原子力発電所4号機が爆発・炎上し、大量の
放射性物質が環境中に放出された。
85Krと
133Xeが炉心量の100%、
131Iが20%、
134Cs、
137Cs、
132Teが10〜15%、その他が2〜6%である。この事故による被ばく者の中で、事故直後の消火作業中に大量被ばくした消防士ら約200名は、線量計を装着していたが、読み取り可能領域以上の被ばくをしたため、バイオドジメトリーにより外部被ばく線量が推定された。治療を受けた急性放射線障害者は、1〜2Gyが45名、2〜4Gyが53名(死亡1名)、4〜6Gyが23名(死亡7名)、6〜16Gyが22名(死亡21名)で合計143名(死亡29名)であった。なお、この事故による直接の死亡者は、火傷、心臓麻痺などを含めて31名といわれている。
4.まとめ
これまで述べた例は、何れも数Gy以上の高線量被ばくであり、このような場合には生体試料を用いて白血球数の変化から線量推定を行うことができる。一方、物理的な現象を利用した手法もある。そのひとつは、電子スピン共鳴法(Electron Spin Resonance:ESR)と呼ばれる手法で、比較的低い線量に対して用いられる。これは歯のエナメル質を試料として、放射線照射によってその中に生じた
不対電子の量を測定することによって
照射線量を推定するものである。なお、ESRと上述のEPRは原理が同じでありESRはEPRとも呼ばれるが、測定対象が異なっている。
チェルノブイル事故初期には、
放射性ヨウ素(とくに
131I)による被ばく線量が重要であったが、事故当時の
131Iの濃度分布に関する詳しいデータがなく、また
131Iの
半減期が短い(8日)こともあって、未だに一般公衆の正確な線量評価ができていない。そのため、ESR法によって住民らの被ばく線量を評価しようという試みが続けられている。現在のところ技術的な問題点が多く(抜歯が必要、校正法が未確立、歯付近の線量をどうやって全身線量の評価に結びつけるか等)、十分な結果は得られていないが、近い将来に良い結果が得られることが期待されている。
<図/表>
<関連タイトル>
電子スピン共鳴法による人体の放射線被ばく線量評価 (09-01-05-12)
電子スピン共鳴法による放射線線量計測 (09-04-03-29)
<参考文献>
(1)青木芳朗 他:バイオドジメトリー(連載)、RADlOlSOTOPES,44(1995)-45(1996)
(2)lAEA Technical Report Series No.260:”Biological Dosimetry:Ohromosomal Aberration Analysis for Dose Assessment”, lnternational Atomic Energy Agency, Vienna (1990)
(3)OECD/NEA:CHERNOBYL Ten Years On Radiological and Health Impact, OECD/NEA, Paris (1995),
http://www.oecd-nea.org/rp/chernobyl/chernobyl-1995.pdf
(4)IAEA:The Radiological Accident in Goiania, IAEA (1988),
http://www-pub.iaea.org/mtcd/publications/pdf/pub815_web.pdf
(5)IAEA:The Radiation Accident in San Salvader, IAEA (1990),
(6) IAEA:The Radiological Accident in Tammiku, IAEA (1998),
http://www-pub.iaea.org/MTCD/publications/PDF/Pub1053_web.pdf
(7)日本原子力学会(編):原子力関係者の放射線の健康影響用語集、1992年11月