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<概要>
 2011年3月11日14時46分の東北地方太平洋沖地震発生後、原子力安全・保安院(保安院、当時)は福島第一原発の運転中の原子力発電所が自動停止したことを確認した。15時42分、全交流電源喪失となったため、東京電力は原災法第10条に基づく通報を行い、これを受けて、経済産業省は原子力災害警戒本部を設置、原子力安全委員会(原安委、当時)は緊急技術助言組織を立ち上げた。さらに、16時45分、原子炉への注水ができなくなっている可能性があるとして、東京電力は原災法第15条の特定事象発生の通報を行った。保安院から報告を受けた経済産業大臣は官邸に赴き総理大臣に上申、19時3分、政府は、原子力緊急事態宣言を発出し、原子力災害対策本部を設置した。その後、官邸では、総理大臣、関係閣僚、原安委委員長、保安院幹部、東京電力幹部らが集まり、事故の状況を踏まえた避難指示範囲の決定、格納容器ベントや海水注入の指示など、福島第一原発についてとるべき措置等を協議し決定した。3月15日早朝には政府と東京電力による統合対策本部が設置され、一体となって事故対応に当たることになった。一方、オフサイトセンターは、地震の影響で経済産業副大臣や福島県副知事の到着が遅れまた停電も発生したため、事故当初は機能が発揮できなかった。15日には、オフサイトセンターは福島県庁に移転した。またモニタリングについての政府内の役割分担も16日に整理された。
<更新年月>
2016年12月   (本データは原則として更新対象外とします。)

<本文>
1. 原子力災害発生時の政府の組織体制
 原子力災害が発生した場合の政府の組織体制は、平成11年(1999年)9月に発生したJCO臨界事故を教訓として新たに制定された原子力災害対策特別措置法((原災法、平成11年12月制定)(ATOMICA「原子力災害対策特別措置法(原災法:2012年改定以前)(10-07-01-09)」参照))、防災基本計画、原子力災害対策マニュアル等に定められている。具体的には、原子力緊急事態に相当する事象が発生したときは、経済産業大臣(経産大臣)からの上申に基づき、内閣総理大臣(総理)が緊急事態宣言を発出すると同時に、官邸に、総理を本部長とする原子力災害対策本部(原災本部)が設置され、オフサイトセンターに現地対策本部が設置される。現地対策本部は、県や市町村の現地対策本部とともに原子力災害合同対策協議会を組織し、避難指示等の災害対策を現地の実情に応じて行う(図1参照)。このような活動が円滑に行われるように、オフサイトセンター、官邸、原災本部事務局が設置される原子力安全・保安院(保安院、当時)の緊急時対応センター(ERC)、事故対応の助言組織である原子力安全委員会(原安委、当時)等の間にはテレビ会議システム等が整備されている。また、原災法に基づき、毎年、原子力防災訓練が実施されている。
 なお、原災法は福島第一原発事故対応の教訓から平成24年(2012年)9月に見直しされ、改正が行われている(最終改正:平成26年11月21日法律第114号)。(ATOMICA「原子力災害対策特別措置法(原災法:2012年9月改定)(10-07-01-11)」参照)。
2. 地震発生直後の対応
 2011年3月11日14時46分、東北地方太平洋沖地震が発生した。保安院は直ちにERCに緊急対策本部を設置して情報収集を開始し、運転中の原子力発電所が地震によって自動停止したことを確認して、15時15分にその旨を公表した。また、経済産業省(経産省)は、地震発生直後、震災に関する災害対策本部を設置した。官邸においては、14時50分、地震対応に関する官邸対策室を設置するとともに、関係各省の担当局長等からなる緊急参集チームを官邸危機管理センターに招集した。15時14分、政府は、災害対策基本法第28条の2に基づき総理を本部長とする緊急災害対策本部を官邸に設置し、15時37分、第1回緊急災害対策本部会合を開催した。
 図2に2011年3月11日の福島第一原発に対して、事故発生後3月15日までの事故対応等に関する組織の概略図を示す。
3. 原災法10条通報とその対応
 15時42分、東京電力は、福島第一原発が津波到達後に全交流電源が喪失状態となったことから、原災法第10条第1項に規定する特定事象に該当すると判断し、本店を介して、保安院等に対し10条通報を行った。これを受け、保安院は、官邸等に対してその旨の連絡を行い、また、経産省は、原子力災害警戒本部及び現地警戒本部を、それぞれERC及びオフサイトセンターに設置した。官邸においては、16時36分、原発事故に関する官邸対策室を設置するとともに、すでに招集されていた緊急参集チームについては原子力災害と併せて引き続き協議を行うこととした。他方、原安委は、保安院から10条通報があった旨の連絡を受け、16時、臨時会合を開催し、緊急技術助言組織を立ち上げた。
4. 原災法15条事態の発生と緊急事態宣言
 16時45分、東京電力は保安院に対し、福島第一原発1、2号機に関して非常用炉心冷却装置による注水ができなくなっている可能性があるとして、原災法第15条第1項に規定する特定事象が発生した旨の報告を行った。これを受け、保安院は、原災法第15条第1項に定める原子力緊急事態に該当すると判断し、経産大臣及び官邸等に対して速やかに連絡するとともに、17時35分頃、原災法第15条第2項に基づく原子力緊急事態宣言発出の上申につき、経産大臣の了承を得た。同日17時42分頃、経産大臣は、官邸に行き、15条事態の発生につき総理に報告を行うとともに原子力緊急事態宣言の発出につき説明し、18時12分頃から開催された与野党党首会談後、了承を得た。19時3分、政府は、原災法第15条第2項の規定する原子力緊急事態宣言を発出するとともに総理を本部長とする原災本部を官邸に、経産副大臣を本部長とする現地対策本部をオフサイトセンターに、原災本部事務局をERCに、それぞれ設置した。また、これと同時に、19時3分から第1回原災本部会合が開催された。その後19時45分頃、内閣官房長官が記者会見を行い、原子力緊急事態宣言の発出及び原災本部の設置を発表した。
5. 事故発生後のオフサイトセンターの状況
 福島県大熊町にあったオフサイトセンターでは、10条通報を受け、福島第一保安検査官事務所長が現地警戒本部を設置した。現地警戒本部長の任に当たる経産副大臣は、経産省を発ったものの交通渋滞により自動車での移動ができず、自衛隊ヘリコプターにより12日0時頃に到着した。また、福島県の現地対策本部長の任に当たる副知事は、11日23時頃に到着した。また、3月11日夜から翌12日にかけて、福島県や政府関係機関の職員が参集し東京電力関係者も12日未明到着した。オフサイトセンターへの参集者は、当初オフサイトセンターが地震の影響により停電状態となったため、隣接する福島県原子力センターに移動して活動を始めたが、12日1時頃電源が復旧し、3時過ぎ原子力センターからオフサイトセンターに戻って活動を開始した。このような状況のため、防災計画で予定されていたように、オフサイトセンターに設置された現地対策本部を中心とする事故対応や避難指示等を検討することはできなかった。
6. 官邸での協議
 緊急事態宣言発出後、官邸では、地震・津波への対応と並行して原子力災害への対応を検討協議することが必要になった。このため、緊急参集チームとは別に、地下中2階の小部屋や総理執務室のある官邸5階に、総理、関係閣僚、原安委委員長、保安院幹部、東京電力幹部らが集まり、避難措置、福島第一原発に関するとるべき措置等について協議を行い決定していった。このメンバーには、3月13日頃までに福島第一原発のメーカーの幹部等も加わった。協議のために必要な福島第一原発に関する情報は、保安院から送付される事故状況に関する東京電力の通報等のほか、東京電力幹部が携帯電話等により直接入手した。なお、事前に整備されていたテレビ会議システムについては、ERCと原安委の間では用いられたものの、オフサイトセンターは通信回線の途絶によりつながらず、また、官邸では端末が立ち上げられなかったため、活用がなされなかった。
7. 官邸による避難区域の設定
 緊急事態宣言発出後、官邸5階や地下中2階の小部屋に集まった少数の関係者は、避難区域の設定について協議し決定した。具体的には、
 ・3月11日21時23分、福島第一原発から半径3km圏内の居住者等に対する避難及び3〜10kmの居住者等に対する屋内退避の指示
 ・3月12日5時44分、福島第一原発から半径10km圏内の居住者等に対する避難指示
 ・3月12日18時25分、福島第一原発から半径20km圏内の居住者等に対する避難指示
 ・3月14日11時、福島第一原発から半径20〜30kmの居住者等に対して屋内退避の指示
がそれぞれ発出された。これらは、把握された事故の状況を踏まえて判断されたものである。なお、原子力災害対策マニュアルなどで活用するとされていたERSS(緊急時対策支援システム)及びSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)は、通信回線の途絶により福島第一原発の情報が得られなかったことなどから、避難区域の設定に用いられることはなかった。
8. 官邸による事故への対応
 官邸においては、東京電力による事故対応の状況を踏まえつつ、政府としての対応についても協議検討された。具体的な政府の対応の例を列記すると次のとおり。
 ・格納容器ベント:12日未明、経産大臣がベントの実施について東京電力と共同記者会見。その後、原子炉等規制法第64条第3項に基づき経産大臣がベント実施を命令。
 ・総理の現地視察:12日早朝、総理が福島第一原発を視察し発電所長と面談。
 ・海水注入の指示:12日17時55分、経産大臣が海水注入を実施するよう原子炉等規制法第64条第3項に基づき命令。
 ・東電撤退問題:14日夜から15日にかけて、東京電力が福島第一原発から退避もありうるとの連絡を受けて協議し、全員撤退はあり得ない旨を総理が東京電力社長に伝達。
9. 統合対策本部の立ち上げ
 15日5時30分、総理が東電本店に赴き、政府と東京電力による統合対策本部を立ち上げることを宣言し、本部長を総理、副本部長を経産大臣と東電社長が務め、政府・東電が一体となって事故対応に当たる体制がとられた。その後、政府職員が東電本店の対策本部に常駐し東電社員とともに事故対応に当たった。
10. オフサイトセンターの移転
 オフサイトセンターでは参集した要員により事故対応が行われていたが、避難範囲の拡大等に伴い物流が止まり、食糧、水、燃料等が不足し始め、また、福島第一原発の事故の進展に伴い、オフサイトセンター周辺及び内部の放射線量も上昇し始めた。このため、現地対策本部は、オフサイトセンターを福島県庁に移転することを決め、15日11時頃から移動を開始して同日中に移転を完了した。
11. モニタリング体制
 12日早朝からモニタリング活動を開始した福島県を支援するため、文部科学省は、13日午前、モニタリングカー及び要員を派遣した。同日以降は、国の現地対策本部が了承した計画に基づきモニタリングが実施された。16日には官邸で関係者が協議し、福島第一原発から20km以遠の陸域において各機関が行っているモニタリングについて、データのとりまとめ及び公表は文部科学省が、評価は原安委が、当該評価に基づく対応は原災本部が行うとの役割分担が決められた。
<図/表>
図1 原子力災害対策特別措置法下の対応体制
図1  原子力災害対策特別措置法下の対応体制
図2 福島第一・第二原発における事故対応等に関する組織概略図(3月15日以前)
図2  福島第一・第二原発における事故対応等に関する組織概略図(3月15日以前)

<関連タイトル>
福島第一原発事故の概要 (02-07-03-01)
福島第一原発事故への福島県の初期対応 (02-07-03-04)
避難区域等の設定と住民避難 (02-07-03-05)
原子力被災者への対応に関する取り組み (02-07-03-09)
原子力防災対策のための国および地方公共団体の活動 (10-06-01-04)
原子力災害対策特別措置法(原災法:2012年改定以前) (10-07-01-09)
原子力災害対策特別措置法(原災法:2012年9月改定) (10-07-01-11)

<参考文献>
(1)国会事故調報告書:http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3856371/naiic.go.jp/
(2)政府事故調中間報告:http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/icanps/post-1.html
(3)政府事故調最終報告:http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/icanps/post-2.html
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