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<概要>
 地球環境はこれまでにない急激で、広範囲な化学変化を起こしており、これが社会的にも経済的にも大きな影響を与えている。このため、大気や海洋における物質輸送解明のトレーサーとしての利用を目的として、人工放射性降下物フォールアウト)である環境放射能の観測が40数年にわたって行われ、温室効果をもたらす二酸化炭素増加の解明に結びつく知見が得られている。
<更新年月>
2006年08月   (本データは原則として更新対象外とします。)

<本文>
1.人工放射性降下物(死の灰のゆくえ)
 大気圏での人工放射性核種の濃度変動の実態とその変動要因を明らかにすべく、ビキニ事件からまもなくの1954年4月に放射性降下物(いわゆるフォールアウト)の観測を開始し、現在に至るまで40数年間途切れることなく継続されている。対象は重要な核種である90Sr(半減期28.7年)、137Cs(半減期30年)およびPu同位体である。放射性降下物は主として大気圏内核実験により全球に放出されたため、部分核実験停止条約の発効前に行われた米ソの大規模実験の影響を受けて1963年6月に最大の降下量となり(90Sr 約170Bq/m2137Cs 約550Bq/m2)、その後徐々に低下した。しかし、60年代中期より開始された中国核実験による影響で降下量は度々増大し、1980年を最後に核実験が中止されたので漸く低下した(図1表1参照)。1986年4月の旧ソ連チェルノブイリ原子力発電所の事故により、放射能の降下量は再び増大したが、1990年代になり90Sr、137Csの月間降下量はともに数〜数10mBq/m2で推移しており、「放射性降下物」とは呼べない状況に至った。この40数年間に亘る時系列データにより、重要な気象学的知見が得られた。例えば、降下量の時間変動から対流圏、成層圏における放射性物質の滞留時間がそれぞれ、30〜50日、1.0〜1.2年と求められた。また、放射能の降下量は太平洋側では春に増大し、日本海側では冬に増大すること、北半球で考えると中緯度地帯に降下量の極大があり、成層圏—対流圏の大気交換過程に主たる原因があることなどが明らかにされた。
 チェルノブイリ事故由来放射能の一部は下部成層圏にも輸送されたが、1994年以後の年間降下量は成層圏滞留時間から予想される量を大きく上回り、むしろほぼ一定量で推移する状況(変動幅2倍程度)となった。従って、成層圏以外のリザーバー(貯蔵庫)から放射能が供給されており、それは表土と考えられる。一旦地表面に沈着した放射能は、風によって土壌粒子とともに大気中に浮遊する。この過程が再浮遊であり、大気への放射能の供給源として重要となってきた。再浮遊は、従来、近傍の畑地などからの表土粒子が主体となっていると信じられてきた。しかしながら、降下物の137Cs/90Sr放射能比は、つくばの気象研究所近傍で採取した表土中の同比と値が一致せず、再浮遊には複数の起源のあることが明らかとなった。他の起源として想定できる地球化学的な現象としては、表土粒子が大規模に輸送される風送塵(黄砂)がある。そこで、この仮説を検証するための取り組みを開始した。最初の試みとして、大陸の砂漠域で90年代に採取された表土について測定を行い、つくばの土壌と比較したところ、137Cs濃度はほぼ同水準であるが、90Sr濃度はつくば土壌の数倍で、核実験で降下した放射能が降水によって溶出されることなく、残留している様子が示された。また、137Cs/90Sr放射能比は降下物試料での同比に近く、比を利用した2成分混合の計算からも風送塵(黄砂)が放射能輸送に寄与していることが強く示唆された。風送塵に関する研究は、近年の気候変動研究にも対応し、科学的新知見を与え得るものであり、人工放射能をトレーサーとして風送塵の研究に応用できる可能性が考えられる。
2.大気降下物及び海水中のプルトニウム
 大気降下物のプルトニウムの研究については、1964年に238Pu(半減期87.7年)を含む燃料電池を搭載した米国の人工衛星が打上げに失敗し、上層大気圏で燃焼し、238Puを大気中に放出した事故を契機として始まった。気象研究所でも1967年には、衛星事故に由来する238Puを降下物試料中に検出し、その結果を報告している。239Pu,240Pu降下量については、1958年3月より今回まで測定結果があるが、世界的にも最も長い記録である。なお、一部プルトニウム降下量については2〜4ヶ月間まとめた試料について測定されているが、1987年以後は1ヶ月単位で測定が行われている(図2参照)。239Pu,240Pu降下量の長期にわたる観測結果から、その経時変動は基本的には核分裂核種(137Cs、90Srなど)の挙動と類似であるが、1960年代の中国の核実験では主に235Uが用いられた点、プルトニウムが比較的大きな粒子(Hot particles)に含まれている点で、核分裂核種とは異なった大気中の挙動をすることを明らかにすることができた。
 1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故に関連して、異常な238Pu/239Pu,240Pu、241Pu/239Pu,239Puが大気降水中で測定され、事故に伴い放出されたプルトニウムの一部が日本まで輸送されたことがわかった。しかし、その程度は137Csや90Srに比べて極めて小さいことも明らかにすることができた。また、1990年代以後のプルトニウムについては再浮遊に由来すると推定している。プルトニウムの再浮遊が主に中国の乾燥地域起源の黄砂と関連している他、気候変動を伴うアジア大陸の砂漠化の進展は、日本におけるプルトニウム降下量の増加の原因となっていることがわかってきた。
 北太平洋及び縁辺海の海水中のプルトニウム濃度について観測した結果、表面水に限っては、太平洋全域及びインド洋、南太平洋の分布を明らかにした。それによると、北太平洋中緯度域で比較的高い表面海水のプルトニウム濃度が出現している。プルトニウムは、海水中で137Csとは異なった挙動を示す。海洋の人工放射性核種は、1945年以前には全く存在しなかったものであり、海洋の物理的循環、生物地球化学的素過程を解明するための最もすぐれたトレーサーである。
3.1986年チェルノブイリ原子力発電所事故
 1986年4月26日、旧ソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所で深刻な事故が起こり、多量の放射性物質が大気中に放出され、5月5日まで続いた。この間に約1850PBq(50MCi)の希ガスと同量の放射能が放出されたと推定されている。5月3日には、事故現場から約8,000km離れた日本でも初めてチェルノブイリ原子力発電所由来の放射能が観測された。大気中の放射能は急速に増加し137Csでみると、つくばでは5月5日には極大になった。その後、やや放射能が減少した後、5月9日には5月5日とほぼ同じレベルまで大気の放射能は増加した。その後、徐々に減少し、5月25日に第2のピークが見られた後、6月に入ると大気中の放射能レベルは急速に減少した。
 大気中の137Cs濃度変化から判断すると、5月3日の時点で日本の北部の北海道及び東北地方に最初に到達し、その後関東、関西及び九州地方にも到達している。
 放射能汚染の大気・海洋などへの拡大により地球環境は、これまでにないほど急激で、広範囲な化学的変化が起きている。こうした様々な環境変化の現状を把握し、変化の原因解明と将来予測を目指している研究が行われている。成果の一つとして、地球表層における物質循環の知見により温室効果をもたらす大気中の二酸化炭素の増加速度は一定ではなく、炭素循環は数ヶ月から数年の時間スケールでゆらいでおり、そのゆらぎは、エルニーニョに関連していることが明らかになった。
<図/表>
表1 大気圏核爆発実験で発生した
表1  大気圏核爆発実験で発生した
図1 人工放射性降下物の経年変化
図1  人工放射性降下物の経年変化
図2 プルトニウム降下物の経年変化
図2  プルトニウム降下物の経年変化

<関連タイトル>
人工放射線(能) (09-01-01-03)
フォールアウト (09-01-01-05)
地球上に存在する放射性核種 (09-01-01-06)

<参考文献>
(1) 気象研究所:環境における人工放射能の研究2003、2004年1月
(2) 気象研究所:環境における人工放射能の研究2005、2005年12月
(3) 気象研究所:気象研究所ホームページ、http://www.mri-jma.go.jp
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