<本文>
1.化学物質による環境問題の現状
現代の社会においては、物の生産などに多種多様な化学物質が利用され、我々の生活に利便を提供している。また、物の焼却などに伴い非意図的に発生する化学物質もある。今日、推計で約5万種以上の化学物質が流通し、また、日本において工業用途として届け出られるものだけでも毎年約300物質程度の新たな化学物質が市場に投入されている。化学物質の開発・普及は20世紀に入って急速に進んだものであることから、人類や生態系にとって、それらの化学物質に長期間暴露されるという状況は、歴史上、初めて生じているものである。化学物質の中には、その製造、流通、使用、廃棄の各段階で適切な管理が行われない場合に環境汚染を引き起こし、人の健康や生態系に有害な影響を及ぼすものがある。
1.1 化学物質による環境リスク
環境省では、「化学物質審査規制法」(*1)が施行された1974年度から、個別物質ごとの製造・使用等の規制、また、「大気汚染防止法」や「水質汚濁防止法」による個別物質ごとの環境排出規制等を行っている他、「化学物質環境安全性総点検調査」により、環境中の大気・水・魚介類等について残留性の調査・監視を行ってきている。化学物質の一般環境中の残留状況を調査している。しかし、今日の化学物質による環境汚染問題は、以下に示すように複雑な様相を呈しており、これら個別物質ごとの対策では十分とはいえなくなってきている。
(1)化学物質は複数の環境媒体を汚染し、人体や生態系への暴露経路の特定が困難である。
(2)微量かつ多種の化学物質による長期間暴露が、人や生態系に影響を及ぼすおそれがある。
(3)それらの化学物質の人や生態系への影響の種類は多種多様である。
(4)以上の作用のメカニズムには未解明の部分が多い。
最近、従来の個別物質規制の枠組みに加え、化学物質による人の健康や生態系への影響のおそれを「環境リスク」としてとらえ、その科学評価を進めるとともに、未然防止の観点からこれを総体的に減少しようとする動きが盛んである。なお、国際的にも、
OECD(経済協力開発機構)や
UNEP(
国連環境計画)等国際機関が主宰する情報交換等のさまざまな調整活動を行うなど、世界各国が協力して化学物質のリスク対策を推進している。
1.2 環境リスクの評価と管理
化学物質の環境リスクを考える際には、化学物質そのものの毒性のみによって危険性を評価するのではなく、生体が環境を通じて化学物質にさらされる量(暴露量)も合わせて考える必要がある。例えば、毒性の高い物質であっても、環境中の濃度がきわめて低く、人の健康や生態系に影響を及ぼすレベルに至らなければ環境リスクは低いと評価される。具体的には、化学物質の人(主にラット等哺乳類を用いる)や生態系(主に藻類・ミジンコ・魚類等水系生物を用いる)に対する毒性試験を実施し、影響を及ぼさないと考えられる摂取量や環境濃度を決定すると同時に、その化学物質が環境中を経由してどの程度人や生態系を汚染しているか推算し、この両者の比較により、人の健康や生態系に対し影響を及ぼすおそれがあるかどうかを定量的に判断する。人の健康や生態系に影響を及ぼすおそれのある化学物質については、環境リスクを適切な範囲以下に抑制するための処置(管理)を行う必要がある。環境リスクの管理手法としては、従来の枠組みである法律等による個別物質ごとの規制に加え、最近は多数の化学物質の環境リスクを包括的に管理削減する手法や法規制によらない自主的なリスク削減を促す手法も取り入れられている。また近年、化学物質の環境リスクに関する正確な情報を行政、事業者、国民、NGO(Non-Governmental Organization:非政府組織、民間団体、市民社会組織)等のすべての者が共有しつつ、相互に意思疎通を図る
リスクコミュニケーションが欠かせないものとなっている。
2.ロッテルダム条約
(The Rotterdam Convention on the Prior Informed Consent Procedure for Certain Hazardous Chemicals and Pesticides in International Trade)
2.1 背景
1992年6月、ブラジル(リオデジャネイロ)で開催された環境と開発に関する国連会議(いわゆる地球サミット)において、「有害かつ危険な製品の不法な国際取り引きの防止を含む有害化学物質の環境上適正な管理」を確実にするために、事前の情報に基づく同意手続(Prior Informed Consent:PIC)の条約化の必要性が勧告された。
PIC手続については、以上に先立ち、
国連食糧農業機関(FAO)における「駆除剤の流通及び使用に関する国際行動規準(1985年採択、1989年改正)」、国連環境計画(UNEP)における「国際貿易における化学物質の情報交換に関するロンドン・ガイドライン(1987年採択、1989年改正)」に規定があり、これらの手続は、駆除剤等の有害化学物質(特に輸出国において、使用及び製造に関し禁止や制限された化学物質)の輸出に際し、輸入国(主として開発途上国)の輸入意思を尊重するという観点から、事前に輸入国の意思を確認する制度である(この行動規準及びガイドラインは、義務的なものではないが、日本は1992年7月からボランタリーベースで実施している)。
その後、UNEPは、1995年第18回UNEP管理理事会において、このPICを法的拘束力を有するものとすることを決定(UNEP決定18/12)し、FAOとともに条約化交渉会議を1996年3月に開始した。
計5回の条約化交渉委員会を経て1998年9月にロッテルダムにおいて外交会議を開催し、本条約が採択され(10日)、翌11日から1年の間署名に開放された。外交会議には、87か国が出席し条約の採択を行い、うち56か国が署名を行った(署名期間中に73か国が署名。日本は1999年8月31日に署名)。
また、条約採択後も政府間交渉委員会を引き続き開催し、条約が発効するまでの間、現行のPIC手続を条約に沿って内容を変更し、暫定PIC手続として運用するとともに、第1回締約国会議の準備を行うこととしている。
2.2 ロッテルダム条約概要
この条約は、複数の締約国において使用を禁止され又は厳しく規制された化学物質及び極めて有害な駆除用製剤を一定の手続に従って条約の附属書に掲載し、締約国は、自国の輸出者が他の締約国の当該化学物質の輸入に係る決定に従うことを確保すること、締約国間で有害な化学物質等に関する情報交換を促進すること等を規定しており、有害な化学物質の潜在的な害から人の健康及び環境を保護し、並びに当該化学物質等の環境上適正な使用に寄与するものである。
具体的には、事務局が、附属書に掲載する化学物質について締約国に予め輸入意思を確認し、それを各締約国に送付することにより、締約国がその化学物質を他の締約国に輸出するにあたり当該輸入国の意思に従うように規定している。また、自国内で禁止又は厳しく規制された化学物質を輸出する場合に、輸入国に対しその危険性等の情報を通報することを規定している。
3.日本の有害化学物質対策
3.1 各種化学物質対策の推進
(1)化学物質審査規制法による審査・規制(
図1 参照)
2001年は322件の新規化学物質の製造・輸入の届出があり、審査が行われた。2002年1月及び2月に指定化学物質として194物質が追加され、2001年度末現在、第一種特定化学物質としてPCB等11物質、第二種特定化学物質としてトリクロロエチレン等23物質及び指定化学物質としてクロロホルム等616物質が、それぞれ指定されている。
(2)PRTR等の推進(
図2参照)
PRTR制度(*2)はすでにオランダ、アメリカ、カナダ、イギリス、オーストラリア等で導入されており、1996年2月にはOECDが加盟国に対し同制度の導入を勧告した。日本でも環境省が1997年度からPRTRパイロット事業を実施し、PRTR制度の日本への本格的導入に向けての課題の整理や関係者の理解の増進を図ってきた。また、産業界も、通商産業省(現・経済産業省)からの支援を受けて自主的にPRTR制度に関する取組を進めるとともに、化学物質の管理に必要な情報を事業者間で提供することによりその管理を促進する
MSDS (*3)の導入・普及に取り組んできた。
これらの経験や中央環境審議会及び化学品審議会における議論を踏まえ、PRTR制度(化学物質排出移動量届出制度)とMSDS制度を二つの大きな柱として、事業者による化学物質の自主的な管理の改善を促進し、環境の保全上の支障を未然に防止することを目的とする「特定化学物質の環境への排出量の把握等及び管理の改善の促進に関する法律」(化学物質排出把握管理促進法)が1999年7月に公布された。
MSDS制度は2001年1月から施行され、また、PRTR制度は2001年4月から事業者による排出量などの把握、2002年4月からその結果の行政への届出、同年秋以降行政による集計・公表等と段階的に施行される。
(3)リスクコミュニケーションの推進
環境省では、情報の共有のため、「PRTRデータを読み解くための市民ガイドブック」の作成・配布や、化学物質の情報データベースのホームページの設置など、化学物質に関する情報の整備・提供を進めている。さらに、事例集などの関連情報を掲載した「リスクコミュニケーション」ホームページを開設している。
(4)政府による各種の取組
ア 有害大気汚染物質対策、イ 化学物質環境汚染実態調査、ウ PCB対策
を実施している。
3.2 国際的動向を踏まえた日本の取組
関係府省においては、OECDにおける環境健康安全プログラムに関する調整作業、HPV(High Production Volume:各国で大量に生産されている化学物質)の安全性点検等に積極的に対応するとともに、試験データの信頼性確保及び各国間のデータ相互受入れのため、GLP(Good Laboratory Practice:優良試験所基準)に関する国内体制の維持・更新、生態影響評価試験法等に関する日本としての評価作業、化学物質の安全性について総合的に評価するための手法等についての検討、内外の化学物質の安全性に係る情報の収集、分析等を行っている。
2001年度においては、OECDのHPV点検プロジェクトにおいて、日本として必要な知見を収集する試験の一環として、生態影響試験、毒性試験等を実施し、OECDの初期評価会合に13物質の初期評価報告書を提出した。
また、化学品の分類及び表示に関する世界システム(GHS:Globally Harmonized System)の確立については、アジェンダ21の第19章に明記されたことを受け、国連危険物輸送専門家委員会(UNCETDG)、経済協力開発機構(OECD)、国際労働機関(ILO)が中心となって検討が進められてきた。2001年からは、その成果を踏まえ、国連経済社会理事会に新たに設置された常設委員会(GHS小委員会)において、GHSの履行の確保に関する検討などが進められている。
また、以下の対策も進められている。
・化学物質の環境リスクの低減
・化学物質による新たな課題への対応
・農薬のリスク対策
[用語解説]
(*1) 化学物質審査規制法
「化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律」昭和48年10月16日法律第117号
(*2) PRTR制度
(Pollutant Release and Transfer Register)
人の健康や生態系に有害なおそれのある化学物質について、その環境中への排出量及び廃棄物に含まれて事業所の外に移動する量を事業者が自ら把握し、行政に報告を行い、行政は、事業者からの報告や統計資料等を用いた推計に基づき、対象化学物質の環境中への排出量や、廃棄物に含まれて移動する量を把握し、集計し、公表する仕組みをいう。
(*3) MSDS
(Material Safety Data Sheet)
化学物質安全性データシート。第一種指定化学物質、第二種指定化学物質及びそれらを含有する製品(指定化学物質等)を他の事業者に譲渡・提供する際、その性状及び取扱いに関する情報(MSDS)の提供を義務付ける制度
<図/表>
<関連タイトル>
生物の多様性に関する条約 (01-08-04-16)
オゾン層保護に関する条約 (01-08-04-17)
バーゼル条約 (01-08-04-18)
砂漠化対処条約 (01-08-04-19)
ワシントン条約 (01-08-04-20)
ラムサール条約 (01-08-04-21)
南極条約 (13-04-01-13)
<参考文献>
(1)外務省:ロッテルダム条約、
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kankyo/jyoyaku/rotterda.html
(2)環境庁(編):平成14年版 環境白書、株式会社ぎょうせい(2002年5月27日)、pp.179-198
(3)環境法令研究会(編):最新環境キーワード 第3版、経済調査会(2000年8月10日)、pp.108-119
(4)(財)地球産業文化研究所(編):地球環境2000−2001、株式会社ミオシン出版(2000年2月21日)、pp.249-265
(5)環境省:リスクコミュニケーション、
http://www.env.go.jp/chemi/communication/index.html
(6)独立行政法人 製品評価技術基盤機構:MSDS制度