<大項目> 放射線と原子力に関する歴史とトピックス
<中項目> 原子力開発の歴史
<小項目> 旧ソ連の原子力開発
<タイトル>
高速増殖炉BN-350(発電・海水脱塩炉)の建設 (16-03-02-07)

<概要>
 カスピ海東岸のシェフチェンコ市近くに、電気出力350MW相当の発電と海水脱塩の高速増殖炉BN−350が1973年7月に運転を開始した。電力、熱、海水脱塩による淡水は、マンギシラク半島の化学、石油等諸工業の発展を可能とした。
<更新年月>
2001年03月   (本データは原則として更新対象外とします。)

<本文>
 モスクワからカルーガ街道を南西へ100km行ったところにオブニンスク市がある。ここの物理・エネルギー研究所での基礎研究とジミトログラードに建設した実験炉BOR-60(原子炉熱出力:60MWt)の成果、またその建設経験や運転経験を通じて多くの経験が積み重ねられた。
 ソ連はこれらをもとにして、カスピ海東岸のシェフチェンコ市中心から東約9kmに、BN−350の建設を1964年6月から開始し、1972年11月に臨界、1973年7月16日からタービン発電機と淡水化プラントへ蒸気供給して、出力運転を開始した(原子炉熱出力1,000MWt、電気出力:350MWe、淡水化能力5,000トン/時=12万トン/日)。BN-350の地図を 図1 に示す。
 この原子力発電所は、もともとシェフチェンコから東約28kmに位置する露天掘りウラン鉱山に電力を供給するものであった。電力、熱及び海水脱塩による淡水は、以前は砂漠だったマンギシラク半島の化学、石油、その他の諸工業の発展を可能とし、マンギシラク州の州都が生まれた。
 なお、このソ連最大の露天掘りウラン鉱山は1954年から開発され、この鉱山のすぐ近くにウラン製錬工場がある。ウラン埋蔵量は発表されてないが、ウラン鉱山責任者の話によると2015年まで採掘可能である。このほかシェフチェンコ市の周辺には幾つかの油田も見つかっている。
 BN-350は二重目的炉であるため、1次系ナトリウム出口温度も低く、非常に保守的な設計となっている。この原子炉は1973年9月に蒸気発生器で漏洩事故が起こったため炉を停止し、1975年まで修理を行った。1976年には熱出力650MWt、電気出力120MWe、淡水化能力約5000トン/時で運転を再開した。また、炉心については設計燃焼度約50,000MWd/トンを達成した。
 BN-350の設計、建設及び運転の経験を通して、臨界質量、炉心熱出力分布、動的特性及び流体力学特性などの物理パラメータが設計値と合致していることが分かった。主要技術パラメータも蒸気発生器の運転に関する考慮から運転値を当初の設計値より低めに押えている。この原子炉の建設・運転経験から標準型高速増殖炉の開発の可能性が分かった。
 図2 にBN-350高速増殖炉の炉心部を、 図3 にBN-350高速増殖炉の海水脱塩部を、 図4 にBN-350原子炉垂直断面図を、 図5 にBN−-50系統フロー図を示した。
 ジミトロフグラードのBOR-60で得た実験データとシェフチェンコのBN-350の運転経験を参考にBN-600(電気出力:600MWe)がベロヤルスクに建設された。
<図/表>
図1 BN-350の地図
図2 BN-350高速増殖炉炉心部
図3 BN-350高速増殖炉の海水脱塩部
図4 BN-350原子炉垂直断面図
図5 BN-350フローダイヤグラム

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<関連タイトル>
世界の高速増殖炉原型炉 (03-01-05-02)
旧ソ連の高速増殖炉研究開発 (03-01-05-09)
ロシアの高速増殖炉BN-600 (03-01-05-13)

<参考文献>
(1) ソ連の原子力開発のすべて、A.M.ペトロシャンツ、伊藤弘、篠原慶邦訳、1981年、日本原子力産業会議
(2) Atomic Science and Technology in USSR,I.D. Morokhov et al,1977,Moscow
(3) Directory of Nuclear Reactors Vol.VII,IAEA. 1968
(4) 詳細原子力プラントデータブック 1985,藤井晴雄、日本原子力情報センター発刊
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