<大項目> 海外情勢
<中項目> 中近東各国
<小項目> イラン
<タイトル>
イラン・イスラム共和国におけるウラン濃縮活動の動き (14-07-01-02)

<概要>
 イラン・イラク戦争が終結した1988年、イラン革命指導者で初代最高指導者故ホメイニー師は、イスラム革命防衛隊司令官に送った手紙に「戦争継続には兵器製造能力が必要」と書いていた。イランの政治体制は、1997年2月、ホメイニー師が指導するイスラム革命により王政が崩壊し、イスラム教シーア派最高指導者を元首とするイスラム共和国制が採られている。以後、欧米との対立も辞さない姿勢をとり、アメリカとは常に対立している。第4代大統領ラフサンジャーニーは対米融和政策を、第5代大統領ハータミーも国際関係の改善に努力を払ったが、米国との関係改善は進まなかった。第6代大統領アフマディーネジャード(2005〜現在)は保守派中の最強硬派で、過激な発言で国際的にしばしば非難を受けている。同大統領は2006年8月、ウラン濃縮活動を再開するなど核開発問題は深刻化している。2006年10月、IAEAエルバラダイ事務局長は、ナタンツのウラン濃縮パイロットプラント(PFEP)で、既存の164基のカスケードに加えて、10月に入って2つ目となるカスケード(164基)を試運転中であることを明らかにした。このPFEPは、最大で6系列のカスケードを設置できる。イランは2006年中にナタンツの大規模地下施設に遠心分離機3,000基の設置を始めるとIAEAに通告した。アフマディーネジャード大統領は「原子力の平和利用の権利」を根拠に濃縮作業を続ける意向を繰り返し強調している。
<更新年月>
2007年01月   

<本文>
1. 政治体制
 イランの政治体制は、1997年2月、ルーホッラー・ホメイニー師が指導するイスラム革命によりパーレビ王政が崩壊した。以後、イスラム教シーア派の最高指導者を元首とするイスラム共和国制が採られている。1979年、イスラム革命を指導したホメイニー師が初代最高指導者(1979〜1989)となって1989年に死去し、アリー・ハーメネイー師が第2代最高指導者となり初代ホメイニー路線を踏襲している。
1.1 最高指導者(表1参照、参考文献1、2)
 最高指導者は、行政、司法、立法の三権の上に立ち、軍の最高指導者で、イスラム共和国の諜報機関と治安機関を統轄する。宣戦布告の権限は最高指導者のみに与えられる。ほかに最高司法権長、国営テレビ・ラジオ局総裁、イスラム革命防衛隊司令官の任免権をもつ。最高指導者は専門家会議が選出し、終身制で任期はない。
1.2 大統領(表1参照、参考文献1、2)
 大統領は、最高指導者の専権事項以外で、行政府の長として憲法に従って政策を執行する。大統領選に立候補する者は、法令により選挙運動以前に監督者評議会による審査と承認が必要で、国民による直接普通選挙の結果、絶対多数票を集めた者が大統領に選出される。任期は4年で再選は可能であるが、連続3選は禁止されている。イランでは、行政府は軍を統括しない。
1.3 議会(マジュレス、日本の新聞では国会ともいう)(表1参照)
 議会はイスラム諮問評議会といい一院制である。条約の批准、国家予算の認可を行う。議員の任期4年、290人で構成し、国民の直接選挙によって選出される。
1.4 専門家会議(表1参照、参考文献1、2)
 専門家会議は国民の選挙によって選出される「善良で博識な」86人の知識人で構成し、1年に1回招集される。選挙の際には監督者評議会の審査と承認を受ける。
1.5 監督者評議会(表1参照、参考文献1、2)
 監督者評議会は12人の法学者で構成する。監督者評議会は憲法解釈を行い、議会可決法案がイスラム法に適うものかを審議する権限をもつ。
2.国際関係の概要(表1表2参照、参考文献1〜7)
 イランは親米、親日を基本としていたが、1979年のイスラム革命以降、欧米との対立も辞さない姿勢をとっており、アメリカとは断交して常に対立している。またヒズボッラーなどのイスラム過激派を支援しているといわれており、アメリカから悪の枢軸、テロ支援国家として名指しを受け続けている。
 第4代大統領のハーシェミー・ラフサンジャーニー(1989〜1997)は穏健保守派の現実主義者で、外政では西側との関係改善のため米国との関係正常化が不可欠と考え、対米融和政策をとり社会的自由化を推進した。しかし、この政策は保守派の反感を招き、また経済状態も期待されたほど改善しなかったので、一般国民の不満も増大した。
 第5代大統領のモハマンド・ハータミー(1997〜2005)は、改革派の穏健派自由主義者で改革と自由を公約しており、大統領就任後、国際関係の改善努力を払った。しかし、米国との関係改善は進まず、経済の活性化も失敗し、国内に失望感が広がった。2004年に、イランがナタンツのウラン濃縮プラントで濃縮を実施し核問題が浮上した。これが2005年の大統領選挙で保守強硬派のアフマディーネジャード勝利の伏線となった。
 第6代大統領のマフムード・アフマディーネジャード(2005〜現在)は保守派の中の最強硬派で、過激な発言で国際的にしばしば非難を受けている。また同大統領は2006年8月31日、ウラン濃縮活動を再開するなど核開発問題は深刻化している。
 2006年9月29日付BBC Newsおよび10月4日付Gulfnewsによると、イラン・イラク戦争が終結した1988年8月20日、イラン革命指導者で初代最高指導者の故ホメイニー師がイスラム革命防衛隊司令官に送った手紙に「戦争継続には核兵器製造能力が必要」の記述のあったことが報道された。この手紙は、イラン・イラク戦争の開戦を記念する「防衛週間」に、1988年当時の最高指導者ホメイニー師の側近だったラフサンジャーニー師が議長を務める最高評議会が2006年9月末に公表し、9月30日のイラン各紙が報じた。1989年以降の第2代最高指導者ハーメネイー師(保守派)は「核兵器はイスラムに反する」として平和利用を主張してきた。ラフサンジャーニー師は、2005年夏の大統領決戦投票で第6代大統領アフマディーネジャードに敗北したが、アフマディーネジャード大統領の強硬路線とは一線を画している。手紙の公開は体制内部の路線闘争の現れとの憶測もある。
 前述から判るように、イラン・イスラム共和国の原子力開発の方向をみると、初代最高指導者ホメイニー師(1979〜1989)が抱いた核兵器製造能力の必要性の意志を引継ぎ、穏健保守派の現実主義者ラフサンジャーニー大統領(1989〜1997)、改革派で穏健自由主義者のハータミー大統領(1997〜2005)は欧米に譲歩した政策をとっていたが、アフマディーネジャード大統領(2005〜現在)は保守強硬派で核開発を強行している。(表1表2
3.原子力関連プラント
3.1 ウラン資源(図1参照、参考文献8)
 イランのウラン探鉱は、1970年代に開始した原子力発電計画を支援するために開始した。主な活動はイラン核燃料庁(Atomic Energy Organization of Iran:AEOI)により、イラン中部(Narigan、KhoshumiおよびSechahun)とイラン北西部でウラン探鉱を実施した。その結果、1999年現在における80〜130$/kgUの確認資源は491トンウラン、80〜130$/kgUの推定追加資源は876トンウランであった。
 1988年以降、イランは10か所でウラン鉱山を開発した。このうちの一つにテヘランの南東450kmのサガンド(Saghand)にウラン鉱山があるが、埋蔵量は不明である。
3.2 転換プラント(図1図2図3図4図5参照、参考文献1、9)
 テヘランの南約320kmのエスファハン(Esfahan)に建設したエスファハン原子力技術センターは、1975年にイランとフランスが協定を締結し、1984年にエスファハン市の南東4kmの地点に完成した。このセンター内に、中国の援助によりウラン精鉱(イエローケーキ)を天然六フッ化ウランに転換するプラント(UCF)が建設され、2004年10月にはほぼ完成し、既に70%が稼働している。IAEAの報告書などでは、このプラントで37トンのウラン精鉱を使い、2004年8月から9月にかけて六フッ化ウランへの転換を実施する予定であった。また、2005年11月から2006年4月にかけて六フッ化ウランへの転換を実施した。なお2005年9月以降に約110トンの六フッ化ウランが転換され、このすべてがIAEAの監視下にある。
3.3 ウラン濃縮プラント(図1図6図7図8参照、参考文献2、3)
 テヘランの南約250kmのナタンツ(Natanz、ナタンツ)にウラン濃縮パイロットプラント(PFEP)を建設した。2003年2月にIAEA事務局長がイランを訪問した際、イラン政府はナタンツのウラン濃縮プラントを正式にIAEAに申告した。2003年10月、英仏独とイランの間でウランの濃縮停止に合意した。2004年11月13日、ウラン濃縮関連活動の停止を巡る英仏独とイランの交渉が大詰めを迎える中、IAEA査察官4人がテヘランに到着した。これは、英仏独の交渉では、合意達成後、ただちにIAEA査察官が濃縮関連活動の停止を現地で確認することになっている。2004年11月15日、イランが英仏独と合意したエルバラダイ事務局長の報告書をIAEA理事国(35か国)に配布した。この報告書によると、イランはIAEAへの書簡で、1)ウラン濃縮に使用する遠心分離機の部品の製造・組立、試験を停止する、2)ウラン転換プラントでのあらゆる転換作業を停止する、3)エスファハンの転換プラントにあるウラン関連物質はIAEAの監視下におく、4)停止確認のための査察官受け入れを11月22日からとし、11月22日から濃縮関連活動を停止する。また、イランは現在、プルトニウム抽出を行っておらず、抽出のためのプラントの建設もしてないことを再確認した。
 第4代大統領ラフサンジャーニーは穏健保守派の現実主義者、第5代大統領ハータミーは改革派の穏健派自由主義者で、ウラン濃縮活動および重水炉の建設を進めていることを世界に向けて発信しなかった。しかし第6代大統領アフマディーネジャードは保守強硬派で、2005年8月3日の大統領就任後に核開発続行の意志を表明し、ウラン濃縮に必要な作業を開始し、2006年1月にウラン濃縮活動を再開した。
 2006年2月、IAEAがイランの濃縮活動を国連安全保障理事会で協議するよう決議したことに反発し、ナタンツのウラン濃縮パイロットプラント(PFEP)で濃縮活動を再開し、2006年3月にはP−1型遠心分離機164基で構成するカスケードを完成し、このカスケードで六フッ化ウランの実験を開始し、4月13日に3.6%の濃縮レベルを達成し、その後もウラン濃縮を実施した。この当時、164基のカスケードを2個、建設中であった。
 2006年3月、国連安全保障理事会はイランに4月28日までの濃縮停止を求める議長声明を発表した。
 2006年4月初旬、アフマディーネジャード大統領の演説で、濃縮能力がナタンツの4倍の遠心分離機を別の場所で建設していると発表したのは、P−1型遠心分離機より高性能のP−2型遠心分離機を指していると思われる。P−2型遠心分離機のプラントは、ナタンツの濃縮パイロットプラントとは別の場所に建設しているとの新聞報道もあるが、図6図7図8の衛星写真から判るように、P−1型遠心分離機カスケードの建物の東側地下に建設した建造物(2か所)の側壁は厚い壁で、天井部分はコンクリートと土で覆われているので、P−2型遠心分離機はこの2か所の地下建造物内部に設置されると思われる。
 2006年8月29日、アフマディーネジャード大統領は、テヘランの大統領府で記者会見を行い「イランは脅しや不当な要求には屈しない。我々は核の平和利用の権利がある」と述べ、ウラン濃縮の継続を明言した。IAEAのエルバラダイ事務局長は、8月31日、イランは8月24日に164基のカスケードにウランを注入し、遠心分離機20基を連結した装置でも濃縮を続けていること、ウラン注入量は6kg程度であることを国連安全保障理事会およびIAEA理事国に提出した。
 2006年9月3日、イランを訪問中のアナン国連事務総長がアフマディーネジャード大統領と会談した際、同大統領はレバノン情勢で、国連安全保障理事会の停戦決議履行に向けた全面的協力を約束したが、「ウラン濃縮活動の停止は受け入れられない」と改めて表明した。
 2006年10月23日、IAEAのエルバラダイ事務局長が明らかにしたところによると、ナタンツのウラン濃縮パイロットプラント(PFEP)で、10月に入って2つめとなるカスケードを真空で回転させる試運転中である。このPFEPは、最大で6系列のカスケードを設置することができる。イランは2006年中にナタンツの大規模地下施設(図6図7図8参照)に遠心分離機3,000基の設置を始めるとIAEAに通告している。なお、アフマディーネジャード大統領は、「原子力の平和利用の権利」を根拠に濃縮作業を続ける意向を繰り返し強調している。
 また遠心分離機の設計図や部品の購入は、核の闇市場が深く関係していると言われているが実態は十分明らかにされてはいない。
3.4 重水炉(図1図9参照)
 AEOI(イラン原子力庁)は2005年3月6日、アラク(Arak)の北西50kmのKhondab(テヘランの南西約230km)に研究用重水炉(IR−40、原子炉熱出力40MWt)の原子炉建屋ベースマット・コンクリートを打設したと発表した。2006年4月11日、イラン原子力庁長官は、重水製造プラントに隣接してIR−40を建設中で、2009年に完成予定であることをスピーチで発表した。重水プラントが定格能力で重水を製造した場合、IR−40は年間9kgの核兵器級プルトニウムを製造することになる。
3.5 重水製造プラント(図1図10図11参照)
 イラン原子力庁によると、重水製造プラントは1996年に建設を開始したとあるが、2006年8月26日のイラン情報によると、重水プラントは1998年に建設を開始した。このカナダ製重水プラントの初期容量は年間8トンの重水を製造できる。2006年4月現在、重水製造プラントは重水を製造しているが、定格能力は達成していない。また、重水は原子力発電所だけでなく、医療への応用も可能だとして、平和目的であることを強調している。このほかにエスファハン原子力技術センターにゼロ出力の重水炉(HWZPR)があり中国が提供した。なおこの原子炉はIAEAの保障措置は受けていない。
<図/表>
表1 イランの最高指導者、大統領、議会、専門家会議および監督者評議会の定義とその選出方法
表2 イランの歴代最高指導者および大統領の氏名とその政治思想
図1 イランのウラン鉱山、転換プラント、ジルコニウム製造プラント、ウラン濃縮プラント、研究用重水炉、重水製造プラントの所在地を示す地図
図2 エスファハンの転換プラントおよびジルコニウム製造プラントの衛星写真(2006年3月23日撮影)
図3 エスファハンの転換プラントの内部写真(2004年10月24日撮影)
図4 エスファハンの転換プラント内部の設備の写真
図5 エスファハンの転換プラント等の全景写真
図6 ナタンツのウラン濃縮プラント(遠心分離法)の衛星写真(2002年9月16日撮影)
図7 ナタンツのウラン濃縮プラントの衛星写真(2003年2月7日撮影)
図8 ナタンツのウラン濃縮施設(ガス遠心分離法)の衛星写真(2006年1月2日撮影)
図9 アラクの北西50kmのKhondabにある研究用重水炉(IR−40、40MWt)および重水製造プラントの衛星写真(2006年3月26日撮影)
図10 アラクの北西50kmのKhondabにある重水製造プラントの全景写真(2006年8月26日放送)
図11 アラクの北西50kmのKhondabにある重水製造プラントの写真(2006年8月26日放送)

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<関連タイトル>
イランの原子力開発と原子力施設 (14-07-01-01)

<参考文献>
(1)ウィキペディア(Wikipedia):イラン、イランの核開発問題、エスファハン(UCF:ウラン転換プラント)ルーホッラー・ホメイニー、アリー・ハーメイニー、アボルハサン・バニーサドル、ハーシェミー・ラフサンジャーニー、モハマンド・ハータミー、マフムード・アフマディーネジャード、http://ja.wikipedia.org/
(2)外務省のホームページ(軍縮・不拡散)イランの核問題(概要)(2006年8月7日)
(3)「核情報」ホームページ(イラン関係)掲載のイラン濃縮施設、IAEA理事会報告
(4)IAEA事務局長イラン報告:IAEA事務局長が、IAEA理事会および国連安全保障理事会に提出した報告書(2006年4月28日)
(5)N Y Times(2006年4月17日)
(6)BBCニュース:「Iran mulled nuclear bomb in 1988」(2006年9月28日)
(7)Gulfnews.com:「The open secret of Rafsanjani’s missives」(2006年10月4日付)
(8)OECD/NEA−IAEA共同報告書:ウラン1999
(9)India:India’s National Magazine “Frontline”,Vol.22−issue18,Aug.27−Sep.9,2005,Iran’s nuclear gambit
(10)CNS(Center for Nonproliferation Studies):Publications>Middle East>Iran、Maps & Charts
(11)ISIS Imagery Brief:New Activities at the Esfahan and Natanz Nuclear sites in Iran,April14,2006,Institute for Science and International Security(ISIS)
(12)ISIS Natanz
(13)ISIS Imagery Brief:Update on Construction Activities at Arak 40MWt Heavy Water Reactor,April 21,2006,Institute for Science and International Security(ISIS)
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