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<概要>
 イタリアは国内エネルギー資源が乏しいことから、1950年代から原子力発電開発に取り組み、1980年代初めには4基の発電炉、合計出力1,510万kWを建設した。しかし、原子力反対運動やチェルノブイリ事故の影響を受け、1987年11月に原子力発電所の建設・運転に関する法律の廃止を求めた国民投票が行われ、その結果、1990年までに核燃料サイクル関連施設を含む全ての原子力施設が閉鎖された。
 一方、閉鎖当初に計画していた火力発電所の建設は進まず、フランスとスイスの安価な電力の輸入が増大した。また、総発電電力量の75%を石油と天然ガス火力に依存しているため、イタリアの電気料金はEU内でも高い水準で推移している。2003年には電力の供給不足で輪番停電が発生し、2003年9月28日、国外との高圧送電線が全て遮断される大停電となり、電力供給体制の脆弱性が露呈された。
 政府は原子力開発を含めた早急な電源開発促進政策を進めたが、2011年3月の福島第一発電所事故を機に、原子力反対運動が顕著となり、2011年6月に行われた国民投票の結果、再度国内原子力開発を断念することになった。他方で、2004年7月に「エネルギー政策再編成法(マルツァーノ法)」を成立させ、イタリア電力公社(ENEL)はスロバキア、ルーマニア、フランスなど、諸外国の原子力発電所建設計画に積極的に参加している。
<更新年月>
2014年01月   

<本文>
1.原子力開発の経緯
 イタリアは国内のエネルギー資源が乏しいことから、原子力発電開発に比較的早く取り組んだ。1950年代後半にラティナ(Latina、GCR、21万kW)、ガリリアーノ(Garigliano、BWR、16万kW)、トリノ・ベルチェレッセ(Trino Vercellese、PWR、27万kW)の3基の発電炉が発注され、1965年までに営業運転を開始した(表1及び図1参照)。2度の石油危機を契機に1975年には第1次国家エネルギー計画(PEN:Piano Energetico Nazionale)が策定され、1985年までに原子力発電所を10地点で合計2000万kW建設するなど、原子力開発に重点を置いた政策が打ち出された。1981年には、4基目となるカオルソ(Caorso、BWR、87万kW)が営業運転を開始した。なお、ガリリアーノは1978年、蒸気発生器(初期のBWRには取付けられていた)のトラブルにより運転を停止し、修理費用と残存耐用年数の兼ね合いから1982年3月に閉鎖された。
 その後は地方自治体や環境保護団体による反対運動が強まり、原子力発電所の立地は難航した。1986年4月の旧ソ連のチェルノブイリ発電所事故後、原子力の是非を問う国民投票の実施を求める署名運動が加速した。署名運動は、環境保護グループが中心となり、右派の急進党及び社会民主党が後援する形で進められ、50万人を超える署名が集まった。同案件の有効性をめぐり憲法裁判所で審理されたが、1987年1月に同案件を国民投票に付すことに合意する判断が示された。
2.原子力国民投票の実施
 国民投票に付された案件は表2の通り、原子力発電所の賛否ではなく、原子力開発を促進する法律の廃止の是非であった。特に、案件(1)、(2)に記された法律は、1981年に改定された第2次国家エネルギー計画を遂行するため、1982年に制定されたもので、石油火力発電所に代わる電源として、原子力、石炭火力、地熱火力などの新規立地を誘致する州及び地方自治体に対して、政府が財政援助を行うことを目的としていた。
 国民投票は1987年11月8、9両日に実施され、3法とも70%以上の反対により廃止が決定した。政府は原子力政策原案をとりまとめ、イタリア議会に提出。同議会は1987年12月18日、政府原案を承認した。それによると、(1)今後5年間の新規の原子力発電所の建設凍結、(2)ラティナ発電所の閉鎖、(3)トリノ・ベルチェレッセとカオルソの運転再開前の安全評価の実施、(4)準備工事中のピエモンテ・トリノ1、2号機の建設工事と諸契約のキャンセル、(5)具体的な研究計画と商業化の推進などが盛り込まれ、イタリアの原子力計画は大幅に縮小されることになった。
 この他、75%の工事進捗中だったモンタルト・ディ・カストロ1、2号機(BWR、各100万kW)はガス火力発電所への転換が決まった。また、(3)のトリノ・ベルチェレッセとカオルソの両機は当時、燃料交換のため運転を停止していたが、1990年6月にイタリア議会が両機の運転再開を拒否し、正式に閉鎖が決まった。
 さらにウラン濃縮施設(EUREX)、燃料加工施設(IFEC)、再処理施設(ITREC)及びカサッチアエネルギー研究センターのプルトニウム施設などの燃料サイクル関連施設も順次閉鎖された(表3参照)。イタリアは表面的には完全に脱原子力発電を達成した。
3.原子力国民投票後の動き
 1988年に策定された新国家エネルギー計画はエネルギー節約、エネルギー源の多様化、国内エネルギー源の開発を通じて、国外へのエネルギー依存を減らし、環境対応を強化するとしていたが、原子力については核融合研究や国際協力は継続するものの、2000年における原子力発電の割合はゼロと設定した。
 原子力発電所閉鎖当初、電力不足分を火力発電所の新設等で代替する予定であったが、住民の反対により建設は進まず、国内の需要を賄うため、安価な輸入電力の比率が大幅に増大した(図2参照)。なお、イタリアへの電力は主にフランスとスイスから供給されている(図3参照)。因みに2012年の原子力による発電量が全発電電力量に占める割合は、フランスが74.8%,スイスが35.9%である。イタリアは海外からの輸入電力への依存に加え、国内発電電力量の75%が石油と天然ガスによる火力発電であることから(表4参照)、イタリアの電気料金はEU内でも非常に高く、フランスと比較すると、2011年の電気料金は家庭用で1.65倍、産業用で2.43倍になっている。図4に2012年の電力需給バランスを示す。
 閉鎖された4基は1993年12月に原子力施設凍結の期限を迎えたが、運転再開はなかった。電力市場自由化や国営電気事業の民営化の一環として、1999年3月、原子力発電所は所有・運転会社ENELから国営企業である原子力発電所管理会社SOGIN(Societa gestione impianti nucleari)に移管された。1999年12月、原子力施設に対し、今後20年間にわたりデコミッショニングと廃棄物管理を行う方針が明らかにされた。2001年5月には安全貯蔵オプションを前倒しし、即時解体計画を策定、2020年までに解体・撤去する方針が示された(ATOMICAデータ「イタリアの原子力施設の廃止措置政策(14-06-11-02)」を参照)。
4.脱原子力政策策定以降の原子力に係る政策
 2003年6月、猛暑によって電力消費量が増加し、他方、渇水のため水力発電による電力供給量が減少したことから、全国的な輪番停電が発生する事態となった。他方、2003年9月28日には、イタリアとスイス、フランス、オーストリアとを結ぶ高圧送電線が遮断され、ほぼ全土が停電。電力供給体制の脆弱性が露呈した(ATOMICAデータ「イタリアの国情とエネルギー事情(14-06-11-03)」を参照)。その後、政府の電源開発促進政策で火力発電所の建設が進み、2005年以降、電力需給の逼迫はひとまず解消している(表4参照)。
4.1 国内の原子力政策
 原子力発電開発の再開を掲げたベルルスコーニ氏が首相に返り咲き、政府は2009年、(1)政府省間計画委員会(CIPE)による新規原子炉の特性や建設主体の規定、(2)政府主導によるサイト選定手続き等の原子力開発関連法制度の策定、(3)原子力安全規制機関(ASN)の創設等を定める法律を制定し、2025年には発電電力量の4分の1を原子力で賄うことを表明した。これに連動し、ENELは4基のEPR(各165万KW)を建設する実行可能性調査を行うため、フランス電力(EDF)と共同で子会社を設立した。また、ミラノなどの公益事業者が合併したA2A社もWH社のAP-1000建設計画を打出した。
 このような折、2011年3月、東京電力福島第一原子力発電所事故が発生。反原発の世論を受け、2011年5月には原子力利用再開に関する議論の凍結を支持する暫定措置令が政府により制定された。2011年6月14日、水道事業民営化、閣僚の訴追免除などに関する法令の廃止に加え、原子力利用再開の是非を問う国民投票が実施され、投票率54.79%のうち、反対票94.15%で、ベルルスコーニ首相は原子力オプションを放棄し、再生可能エネルギー利用促進を含んだ新しい国家エネルギー戦略を策定することとなった。
4.2 国外での原子力政策
 2003年に大規模停電に見舞われたイタリアは、2004年7月、「エネルギー政策再編成法(マルツァーノ法)」を成立させ、輸入電力供給の安定確保を目指している。ENELはイタリアへの電力供給を目的として、スロバキアやルーマニアなど、国外の原子力発電所への投資を選択することになった。また、フランスのフラマンビル3号機の建設にも、産業パートナーとして参加している。
 ENELは、スロバキア電力(SE)の66%の株を取得し、建設中のモホフチェ-3・4号炉(MOCHOVCE)に出資しているほか、ルーマニアのチェルナボーダ-3・4号炉(CERNAVODA)の建設にも出資している。2007年にはスペインの最大電力会社エンデサ(Endesa, S.A.)の株を92.06%取得した。エンデサはスペインで運転中の原子炉7基6772.7MWのうち3686.2MWを所有する。なお、ENEL(Enel SpA、エネル)はイタリア経済財務省が株の31.2%を保有し、国内の発・送・配電事業において独占的なシェアを持ち、世界でも有数の電力会社に成長している。
(前回更新:2005年9月)
<図/表>
表1 イタリアの原子力発電所
表1  イタリアの原子力発電所
表2 1987年11月8日、9日に実施された原子力問題に関するイタリア国民投票の結果
表2  1987年11月8日、9日に実施された原子力問題に関するイタリア国民投票の結果
表3 イタリアの核燃料サイクル施設
表3  イタリアの核燃料サイクル施設
表4 イタリアの電源別発電電力量と設備容量の推移
表4  イタリアの電源別発電電力量と設備容量の推移
図1 イタリアの原子力発電所位置図
図1  イタリアの原子力発電所位置図
図2 イタリアにおける海外輸入電力量の推移
図2  イタリアにおける海外輸入電力量の推移
図3 イタリアの電力輸出入内訳(2012年)
図3  イタリアの電力輸出入内訳(2012年)
図4 イタリアの電力需給バランス(2011年)
図4  イタリアの電力需給バランス(2011年)

<関連タイトル>
イタリアの原子力施設の廃止措置政策 (14-05-14-02)
イタリアの国情およびエネルギー事情 (14-05-14-03)

<参考文献>
(1)(社)海外電力調査会:海外諸国の電気事業、第1編、2003年版(2003年3月)および2008年版(2008年3月)、イタリア
(2)(社)日本原子力産業協会:原子力年鑑、各論2005年版(2004年10月)および2013年版(2012年10月)、イタリア
(3)(社)日本原子力産業協会:世界の原子力発電開発の動向、2013年版(2013年5月)
(4)(社)日本原子力産業会議:原子力資料 No.204(1988年1月)、p.81
(5)IAEA発電炉情報システム:Italy、http://infcis.iaea.org/NFCIS/Facilities
(6)IAEA核燃料サイクル情報システム(NFCIS):
(7)Terna(ENELの送電設備会社):PROVISIONAL DATA ON OPERATION OF THE ITALIAN POWER SYSTEM、2012、2013年7月:
(8)GSE S.p.A:Statistical Report 2011、Renewable Energy Power Plant in Italy
(9)SOGIN(イタリア廃止措置管理会社):Italian Decommissioning Programme Overview,(Technical Meeting on the Country Nuclear Power Profiles Italian Profile)、2013年3月
(10)Terna(ENELの送電設備会社):DATI STORICI(Segue Tabella 50およびTabella 51)
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