<概要>
イタリアの高速増殖炉の開発は、研究炉TAPIROを利用する基礎研究から始まった。高速実験炉PECは1974年から建設を開始したが、1987年の国民投票により原子力発電からの撤退が決まり、高速炉開発計画は廃止された。1988年からイタリアは原子力開発利用から撤退の政策を採ったが、電力事情の悪化や二酸化炭素の排出削減のため、2004年には「エネルギー政策再編成法(マルツァーノ法)」を制定しエネルギー政策を変更した。2009年には「日本−イタリア原子力協力文書(Memorandum of Cooperation)」に署名した。新しい研究開発が開始された。<更新年月>
2010年02月
2.第二期、1966−87年
政府が原子力利用と研究開発を積極的に進めた。1967年にはCIRENE炉(イタリアのCANDU型炉)の開発が始まり、1974年には第1次石油危機を経験しエネルギー問題の解決に原子力発電所20基の建設計画が立てられた。
高速炉開発はこの時期に始まった。1971年に臨界になった高速中性子研究炉TAPIROを利用して、基礎研究が開始された(表2)。1974年には、高速実験炉PEC(Prove per Elementi di Combustibile-Fuel Element Testing Facility)の建設が開始された。PECは熱出力120MW、MOX燃料を装荷しナトリウム冷却で中間熱交換器はループ型である。発電は計画に無かったので蒸気発生器は無い。表2に主な仕様、図1に完成予想図を示す。1986年にチェルノブイリ原子炉事故が起きると、原子力利用の是非を問う国民投票があり、1987年にイタリアは原子力利用から撤退しPEC計画は廃棄された。従って、2009年現在に運転中の原子力発電所はない。
イタリアとフランスは、ドイツの高速増殖実証炉SNR−2計画に協力していた。この実証炉は1984年に概念設計が開始されたが、開発計画は1988年に欧州高速炉(EFR)開発に移行した。1983年ころから、欧州5ケ国(イギリス、フランス、西ドイツ、イタリア、ベルギー)は、それまで各国で進めてきた実績とスーパフェニックス−2(フランス)、CDFR(イギリス)、SNR−2(西ドイツ)の計画を合わせ、経済性が高く各国共通の許認可性(Licensability)を有する欧州高速炉(EFR)の共同開発を検討していた。1993年に概念設計と予備安全評価を終えたが、本計画は複雑な政治情勢によりこの段階で終了した。
4. 第四期、2004年以降
2008年に、イタリアの新政権はエネルギーの化石燃料依存率を軽減するため、原子力発電を導入する方針を示した。政府は、2030年までに電力消費量の25%を原子力発電で供給する目標を立てている。2009年には、日本−イタリア原子力協力文書(Memorandum of Cooperation)が署名された(表1)。
2001年、21世紀の世界の経済発展と人口増加による電力需要増大に対応するため、経済性、安全性、核兵器拡散抵抗性などに優れた第4世代原子炉システム(GEN-IV)の開発が提案され、それを推進する国際的な枠組み、第4世代国際フォーラム(GIF:Generation IV International Forum)が結成された。GIFでは、2030年以降に導入可能なものとして6システムが選ばれ、そのうち3システムは次に示す高速炉である。(1)ガス冷却高速炉(GFR)、(2)鉛冷却高速炉(LFR)、(3)ナトリウム冷却高速炉(SFR)。2001−08年のイタリアは脱原子力政策のためGIFに加盟していないが、ユーラトム(EURATOM)では鉛冷却高速炉ELSYの研究開発に加わっている。
(前回更新:1998年3月)<図/表>