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1.石油備蓄の必要性の高まり
わが国で最初に石油備蓄が具体的に政策として取り上げられた契機は、1967年の第3次中東戦争の際のヨーロッパへの禁輸であった。その後産油国の利権意識が高まり、1971年2月にペルシャ湾岸産油6か国と国際石油会社との間で、石油開発への事業参加等を求めるいわゆるテヘラン協定が締結された。後にOPEC(Organization of Petroleum Exporting Countries:
石油輸出国機構)の原油価格値上げ攻勢が始まると、先進石油消費国における石油の安定供給に対する不安感は次第に強まり、国際的に石油備蓄増強の動きが加速された。そして経済協力開発機構:OECD(Organization for Economic Co−operation and Development)は、上述の中東戦争の頃から加盟各国に対して備蓄を勧告してきたが、1971年6月には、90日の備蓄をできるだけ早く達成するように勧告した。
こうした背景の下で、わが国においては1972年度から民間60日備蓄増強計画がスタートし、1971年度末の45日備蓄から毎年度5日ずつ積み増しを行い、1974年度には60日備蓄を達成させる目標が掲げられた。
1973年10月に勃発した第4次中東戦争を端緒として引き起こされた第1次石油危機の経験を通して、備蓄の有効性が一層認識されるとともに、わが国の備蓄水準がきわめて不十分であり、その大幅な増強を図る必要性が痛感された。
1974年にはOECDの下に設置されたIEA(International Energy Agency:
国際エネルギー機関)は、加盟各国が石油融資スキームの前提条件として90日備蓄増強計画を1980年度までに達成することを義務づけた。
2.備蓄計画の変遷
こうした国際的な動きを背景にして、わが国政府は、総合エネルギー調査会石油部会の備蓄増強の指摘に基づき、1975年度から毎年度5日分ごとの積み増しを行い、1979年度末に90日備蓄を達成することを目標に、90日備蓄計画を策定した。90日備蓄増強計画を実施するために、石油企業に備蓄を義務付け、他方それに要する膨大な資金・コスト負担等について国の強力な助成を石油開発公団を通じて行うことを前提として、1975年12月に石油備蓄法が制定された(
表1)。本法は、民間備蓄として一定量以上の石油の生産、販売、輸入の事業を営む者(備蓄義務者)に対して、合計でわが国全体の前年の石油消費量の70日から90日になるように算定される「基準備蓄量」をそれぞれに割り当て、これを常時保有することを義務付けたものである。
1977年8月、総合エネルギー調査会石油部会(現総合資源エネルギー調査会石油分科会石油部会)は「今後の石油政策の方向」と題する中間報告をまとめ、その中で、わが国の石油輸入依存度が欧米に比べて著しく高いことから90日を超える備蓄が必要であること、その場合、民間石油企業に対してこれ以上の備蓄負担を課すべきではなく、国家備蓄の方向で検討すべきことを提言した。これを受けて同年12月石油部会備蓄小委員会は、原油ベースで90日分を超えて1,000万キロリットル程度の備蓄の積み増しを行うべきこと、90日以上の備蓄を民間企業に行わせることは経営的に限界があること等を指摘し、早急に法的、財源的措置を講ずるべきであるとした。
こうして、1978年11月から、石油開発公団を実施主体としてタンカーによる国家備蓄がスタートした(
表2)。タンカー備蓄は1985年12月まで継続され、このための財源措置として石油税が創設された。
3.民間備蓄の状況
90日備蓄増強計画は、当初1979年度の達成を目指していたが、第2次石油危機の影響によって1年間延期され、1980年度末に原油および製品、半製品計で90日(約5,000万キロリットル)の目標が達成された。
その後、1987年11月の総合エネルギー調査会、石油備蓄小委員会報告により、国家備蓄の増強に伴う民間備蓄の軽減の提言があり、これを受けて、1989年度以降徐々に義務量は軽減され、1998年度には70日の義務を維持することとなっている。
4.国家備蓄の状況
国家備蓄に関して、1978年10月に総合エネルギー調査会石油部会は、長期的には3,000万キロリットルを目標とするとの提言を行った。目標量は3,000万キロリットルに引き上げられ、その上方修正は必然的に国家基地建設計画の拡大・増強に結び付くことになった。
国家基地は8社10基地(
表3、
図1)体制の下に建設が進められたが、最終的には4,000万キロリットルのタンク能力を有し、ここに3,000万キロリットルの原油を備蓄することを目標とした。
国家備蓄は、民間備蓄を補完するものとして1978年のタンカー備蓄から始まり、1988年度末に国家備蓄基地と民間タンクにより計3,000万キロリットルの目標を達成した(
表2)。これはその時点の53日分に相当した。以後積み増しは1997年度の5,000万キロリットル(90日分)達成まで、国家備蓄基地の拡充によって続けられる。なお、このほかに石油ガスの備蓄地点の設置が図られている。
5.わが国における石油備蓄の現状
総合エネルギー調査会および石油審議会(現石油分科会)の備蓄問題に関する合同小委員会は1988年に備蓄政策の基本方針として、
(1)国家備蓄を、クライシス用として、IEP(International Energy Plan)協定(
国際エネルギー計画に関する協定)上義務付けられている90日備蓄として位置付ける
(2)国家備蓄は5,000万キロリットルを目標として1990年代半ばまでに達成することが望ましい
(3)民間備蓄は90日から段階的に70日まで軽減することが適当である
とした。
1989年度において300万キロリットルの国家備蓄原油の積み増しが盛り込まれた。これに引き続き、1998年2月には目標の5,000万キロリットルを達成している。わが国における民間および国家の石油備蓄量の1965年からの推移を
表4に示す。2005年3月現在のわが国の石油備蓄量は、国家備蓄については、原油5,099万キロリットルで92日分、民間備蓄については、3,899万キロリットルで74日分、合計8,998万キロリットル(製品換算)で166日分となっている。
石油備蓄法は2001年に一部改正され、備蓄制度の強化が図られた。また国家備蓄は石油公団から金属鉱業事業団に統合され、国の直轄事業とされた。
2002年における備蓄計画の審議においては、今後5年間新たな備蓄の積み増しはないが、経産省石油審議会(現総合資源エネルギー調査会石油分科会)において、供給の減少などの緊急時に市場が機能しない場合に備えて、補完措置を機動的に講じること、平時に情報収集等の政策を展開すること、各国が協調して備蓄を放出する措置の重要性、天然ガスの供給確保と利用拡大の必要性、などが指摘されている。
<図/表>
<関連タイトル>
海外石油開発プロジェクト (01-03-02-02)
日本の短期、中期の石油供給計画(1999〜2003年度) (01-09-03-03)
<参考文献>
(1)資源エネルギー庁(監修):1999/2000年資源エネルギー年鑑、通産資料調査会(1999年1月)、p.276−285
(2)資源エネルギー年鑑編集委員会(編):2005−2006資源エネルギー年鑑、通産資料出版会(2005年4月)、p.335−411
(3)日本エネルギー経済研究所計量分析ユニット(編):EDMC/エネルギー・経済統計要覧(2006年版)、省エネルギーセンター(2006年2月)、p.166
(4)(株)石油通信社:平成17年 石油資料(2005年9月)、p.260