<解説記事ダウンロード>PDFダウンロード

<概要>
西ドイツ政府は1989年6月6日、バッカースドルフ再処理工場建設計画の放棄を決定した。計画放棄の理由として、建設費が150億マルク近くに高騰したことがあげられている。西ドイツの使用済燃料の再処理は、フランスとイギリスに委託されることになった。この再処理に関するフランスとイギリスの協力は、EC 統合を考慮した原子力協力体制再編成のひとつであるといえる。
<更新年月>
1998年05月   (本データは原則として更新対象外とします。)

<本文>
[バッカースドルフ再処理工場の建設計画]
 バッカースドルフ再処理工場の建設は、1985年2月、ドイツ核燃料再処理会社(DWK)の臨時監査役会議で決定された。当時の計画では、年間再処理容量350トンとなっており、タクスエルデルン森の120ヘクタールの敷地に、1500トンの使用済燃料受入れ貯蔵プール、主プロセス建屋、廃棄物処理・貯蔵並びにMOX燃料 製造用建屋の建設が含まれていた。この再処理工場の位置を 図1 に示す。
 1985年に第一次部分建設許可を得て、工事が開始された。主プロセス建屋などの建設を対象とした第二次部分建設許可は1989年中に取得し、1996年の操業を予定していた。

[ラ・アーグ再処理工場との契約]
 しかし、DWK社の親会社であるフェバ社がフランスのコジェマ社と1989年4月3日に燃料サイクル分野で協力覚書に署名したことで、バッカースドルフ再処理工場の建設の中止が議論されるようになった。同覚書は、両国の承認が必要であることのただし書きがあったが、西ドイツの原子力発電所から発生する使用済燃料の大半にあたる400〜600トン/年を1999年から15年間にわたり、フランスのラ・アーグ再処理工場UP3で再処理するとしており、フェバ社がバッカースドルフ再処理工場の建設の放棄を示したものであった。

[バッカースドルフ再処理工場の放棄]
 政府は1989年5月9日、バッカースドルフ計画は電力業界自身が決定するものとし、この問題に対する電力業界の態度を5月中旬までに表明してほしいと発表した。
 これを受け、DWK社は5月29日、監査役会議を開いた。その結果、6月1日からバッカースドルフ再処理工場の建設工事を当分中止することが決定された。
 そして、政府はDWK社の決定を承認し、6月6日バッカースドルフ再処理工場建設計画の放棄を決定した。
 バッカースドルフ計画の放棄の一番の理由は、フェバ社のフェルダー会長が指摘するように「経済性」である。総建設コストは当初55億マルクと見積もっていたが、1989年時点では許認可の遅れや安全関連対策の追加により150億マルク近くに高騰した。このため、電力会社にとってはもはや正当化できる範囲を超えてしまったというわけである。

[バッカースドルフ再処理工場の放棄後の計画]
 バイエルン州のシュトライブル州首相は、バッカースドルフ計画の放棄によって影響をうけるオーバープファルツ地域の経済開発のために、同計画に参加している電力会社が10億マルク、連邦および州政府が4.5億マルクを拠出することを発表した。その一環として、ジーメンス社とバイエルンベルク電力会社は共同で1億マルク以上を投じて太陽電池製造工場を建設する計画を発表した。1990年代半ばの操業開始で、400人の雇用を見込まれた。

[ラ・アーグ再処理工場]
 フェルダー会長によると、1999年におけるラ・アーグ再処理工場での再処理価格は1500マルク/kgであるのに対し、バッカースドルフでの推定価格は4500マルク/kgである。このため、フランスに再処理委託することによって年間15億マルクの利益が生じるという。
 一方、この再処理依託はフランスのコジェマ社にとって重要な再処理戦略でもある。コジェマ社のラアーグ再処理工場UP3(処理能力800トン/年)は1999年以降の再処理契約を結んでおらず、顧客をさがす必要があった。
 1990年7月、コジェマ社は、旧西ドイツ電力会社11社と再処理契約を結んだ。同契約は11社15基の原子力発電所から2006年までに出てくる使用済燃料約2000トンの再処理を行うもの。金額にして約100億フランにのぼる。

[ECの原子力協力体制]
 西ドイツはフランスとの再処理契約と同時にイギリスとも契約を結んでいる。1989年に「原子力平和利用に関する独英共同宣言」が結ばれ、これに基づいて、西ドイツの電力会社6社の原子炉7基の使用済燃料1200〜1700トン、金額にして合計7億5000万ポンドの再処理契約を行った。
 フランスとイギリスに対する「原子力平和利用に関する共同宣言」は、原子力平和利用面での協力の枠組みについて述べたものであり、協力の原則にはじまり、再処理、MOX燃料成型加工、ウラン濃縮、原子炉、原子力発電所の情報交換、放射性物質の輸送における協力、ECとの関係から構成されている。
 バッカースドルフ再処理工場建設計画の放棄の決定によって、西ドイツは、使用済燃料を再処理するという基本計画は変えないものの、再処理は自国内でなくとも他のヨーロッパ共同体(EC)諸国で行ってもよいという新しいバックエンド政策を進めることになった。この決定は、EC統合を考慮したヨーロッパレベルでの原子力推進体制再編の一つであるといえる。
<図/表>
図1 旧西ドイツの「バッカースドルフ」再処理工場の位置
図1  旧西ドイツの「バッカースドルフ」再処理工場の位置

<関連タイトル>
ラ・アーグ再処理工場をめぐる動き (14-05-02-10)
ドイツの核燃料サイクル (14-05-03-06)

<参考文献>
(1) 原子力資料 NO.222 1989.7 日本原子力産業会議
(2) 原子力資料 NO.223 1989.8 日本原子力産業会議
(3) 原子力資料 NO.234 1990.7 日本原子力産業会議
(4) 原子力資料 NO.236 1990.9 日本原子力産業会議
JAEA JAEAトップページへ ATOMICA ATOMICAトップページへ