<大項目> 海外情勢
<中項目> ヨーロッパ各国
<小項目> フランス
<タイトル>
フランス社会党政権の原子力政策 (14-05-02-09)

<概要>
 1981年のフランス大統領選で、社会党のミッテランが、フランス民主連合(UDF)で当時の大統領だったジスカールデスタンを破り、当選した。この選挙での論点の重要なものの一つに原子力問題があった。社会党は、エネルギー自立化への最優先策として、原子力発電開発を進めていたUDFを非難し、原子力に反対の立場を取っていた。しかし、1989年、エネルギー市場などの状況が1981年とは大きくに変わり、また大気汚染など環境破壊が問題となったため、8年ぶりに大幅なエネルギー政策の見直しが行われた。
<更新年月>
1998年05月   (本データは原則として更新対象外とします。)

<本文>
[社会党・ミッテランの大統領選勝利]
 1981年の大統領選で、社会党のミッテランが、フランス民主連合(UDF)で当時の大統領だったジスカールデスタンを破り、当選した。この選挙での論点の重要なものの一つに原子力問題があった。それまでジスカールデスタン前大統領の属するUDFは、エネルギーの対外依存からの脱却をはかることを目指して、輸入石油に変わるエネルギー自立化の最優先策として原子力発電開発に取り組んできた。しかし、変革を求める声の中、原子力開発が見直しすべき時期に至ったとの見方が強く、「政府は国民と協議することなくエネルギー政策を実施している」と非難した社会党が労組や環境保護派などの支持を集め、ミッテランは大統領選に勝った。

[社会党のかつてのエネルギー政策]
 当時の社会党は、原子力発電そのものの必要性は認めていたが、政府の大規模かつ急速な原子力発電開発計画の見直しを主張していた。大統領選にあたっては次のようなエネルギー政策を打ち出していた。
(1)経済成長率を年5%とし、1990年の一次エネルギー需要量を石油換算で2億3000万トンに抑える。
(2)石炭と新エネルギーの開発を促進する。
(3)運転中・建設中の原子炉は、これを認める。
(4)原子力発電所の新規発注については、民主的な討論を経た後、国民投票を実施し、議会がその結果を参考に決定する。
 しかしこのような政策により、石炭の一時的な復活、エネルギー節約政策の徹底、一部の原子力発電の中断、減速などが現出してきた。これはフランス・社会党がこの1981年当時の政策の方向性をあまりかえずにきたためである。そのため1989年、ようやくエネルギー政策に対する方向付けを新たに決定するための論議がなされた。

[社会党のエネルギー政策の転換]
 フランスの社会党のH.ブシャドー国民議会議員を中心とする情報作業グループは、1989年12月12日、フランスの今後のエネルギー政策のあり方について言及した報告書を国民議会に提出した。この報告書は環境問題から原子力批判派まで幅広く意見を聞くことによりまとめられたものである。この際の論議は規模的には1981年以来8年ぶりの大きさで、国民議会におけるエネルギー政策の方向付けを大きく決するものである。

[現在の社会党の原子力政策]
 エネルギー市場は1981年に比べてその容貌を大きく変えてきた。売り手によって支配される市場から、実質的に買い手にとって有利な状況に移行した。1970年代及び1980年代初めは、石油ショックによる一次エネルギーの量的不安が存在したが、1980年代後半から供給過剰の状態にあり、中東情勢が不安定なものの、当面の心配はほとんどない。
しかしながら、21世紀半ば以降、温室効果酸性雨などによって地球の気候や環境に急激な変化をきたすであろうという予測が、世界的規模の大きな論争及び国際政治の対象となっている。そうした予測がなされるのは大量の炭酸ガスの放出が原因と考えられているが、その炭酸ガスのおよそ80%は化石燃料から発生したもので占められている。そのため、化石燃料に量的余裕があるとしても、それに任せてただ漫然と化石燃料ばかりに電力の供給を頼っていては、遠からざる将来にも地球の環境は壊滅してしまう恐れがある。こうした情勢の中で、フランスも従来の政策をそのまま続けるわけにいかず、その方向性を大きく改める必要がでてきた。
 こうしたことを受けて、社会党は新たなエネルギー政策について、いくつかの側面について突っ込んだ検討をしなければならないと考えた。1981年の段階では、原子力に対する安全性が不完全であるとして、原子力による環境汚染に対する反対の声が強く、石油などの化石燃料による電力供給を推進していた。しかし、大気汚染などの問題が生じてくるにつれて、安易に化石燃料を浪費することができなくなってきた。したがって社会党は、環境問題に介入する機関を設けたり、エネルギーの再利用や効率の向上をはかるなどの手段をとるとともに、原子力政策に力を入れるべきだと考えた。
 以上のような状況から、原子力政策の将来に関して、1989年に社会党は次のような提案をした。
(1)決定に際しては、原子力施設計画の展開及び財政支出の方針、増殖炉の研究、照射済み燃料の再処理方式の選択及びそれから生じるプルトニウム及び廃棄物の管理に関する対策、についての経済的な評価を行い、その結果を公表すること。
(2)高レベル放射性廃棄物の貯蔵に関して進行中の研究の技術的基礎を外国を含め、公開し説明すること。
(3)安全規制当局に関し、場所によっては、原子力施設安全本部(SCSIN)または原子力安全防護研究所(IPSN)の法規改正について検討すること。
(4)大気の放射能を監視するため独立したネットワークの配備をはかること。
(5)十分に独立していると世論によって認められる最高機関を創設するための法律提出に取り組むよう、議会に対して要請すること。
 以後は、原子力に関しては政策決定までに時間的余裕があるとして、過去になされた選択の経済的な評価を行い、放射性廃棄物の貯蔵に関する政策の徹底的な研究を進めていくこととしている。
<関連タイトル>
フランスの原子力政策および計画 (14-05-02-01)
フランスの原子力発電開発の状況 (14-05-02-02)
フランスのPA動向 (14-05-02-07)

<参考文献>
(1) 原子力資料 No.234 1990.7 日本原子力産業会議
(2) 諸外国における原子力発電開発の動向 1981年版 日本原子力産業会議
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