<本文>
1.KEDOとは
KEDO(The Korean Peninsula Energy Development Organization:朝鮮半島エネルギー開発機構)は、1994年10月に米朝間で署名された「合意された枠組み」を受けて、1995年3月に設立された国際機関である。
KEDOの主な設立目的は、北朝鮮が独自に建設した既存の黒鉛実験炉(核兵器の原料である
プルトニウムの生産が容易)の活動を凍結し最終的には
解体することを条件に、核兵器の原料であるプルトニウムの生産が比較的困難で、また国際的監視に服させやすい軽水炉2基を建設し提供すると共に、軽水炉第1基目の完成までの代替エネルギーとして、年間50万トンの重油を供給することにある。(参考文献10)
図1にKEDO関連図を、
図2に北朝鮮の主要原子力関連施設の所在地図を示した。
2.設立の経緯
北朝鮮は、1993年3月、核兵器不拡散条約(NPT)からの脱退を表明し、IAEA
保障措置協定の遵守を拒否した。同年6月の米朝協議の結果、北朝鮮はNPT脱退の発効を中断したが、北朝鮮による保障措置協定違反はその後も続き、翌1994年5月、寧辺原子力センター(平壌の北84km)にある黒鉛実験炉(黒鉛減速炭酸ガス冷却型炉、電気出力5MWe)の核燃料棒抜取りに
着手するに及んで、同年6月、IAEAは北朝鮮に対する協力の停止(医療分野を除く)を決定した。これに反発した北朝鮮がIAEAからの脱退を表明し、国連安保理が対北朝鮮制裁決議について非公式の協議を行うなど危機感が一気に強まった。
この危機を打開するため、1993年6月にカーター元米大統領が訪朝し、金日成主席(当時)との会談等を経て、1994年10月、米朝間で「合意された枠組み」が署名された。これにより、(a)北朝鮮が、NPT締約国にとどまる他、IAEA保障措置協定上の義務履行を通じた核開発の検証、既存の
原子力施設(寧辺原子力センターにある電気出力5MWeの黒鉛実験炉、再処理施設、核燃料加工工場)および開発中の核施設(寧辺原子力センターに建設中の電気出力500MWeおよび寧辺の北西西約30kmの秦山に建設中の200MWeの黒鉛減速炉)の凍結・解体等を行うこととなり、その代わりとして、(b)米国は、「国際コンソーシアム(注:後のKEDO)」を通じて、電気出力約100万kW(1,000MWe)の軽水炉2基を北朝鮮へ供与するとともに、第1基目の軽水炉完成までの間、黒鉛実験炉の凍結に伴い失われるエネルギーの代替として、年間50万トンの重油を供与することになった。
この「合意された枠組み」を受けて、1995年3月、日米韓3か国はKEDO設立協定に署名し、北朝鮮における軽水炉プロジェクトの資金手当ておよびその供与並びに暫定的な代替エネルギーの供与等を目的としたKEDOが、上述の「国際コンソーシアム」として、正式に発足した。(参考文献10)
表1に北朝鮮の
原子力発電所を、
表2にKEDO関連年表を示した。
3.KEDOの機構
KEDOの意思決定は理事会で行われている。理事会は、日本、米国、韓国(以上、原加盟国)およびEU(European Union 欧州連合、1997年にKEDOに加盟)の各代表により構成され、年に数回開催される。その他、総会が年に1回開催される。2002年現在、一般メンバーとして9か国(ニュージーランド、オーストラリア、カナダ、インドネシア、チリ、アルゼンチン、ポーランド、チェコ、ウズベキスタン)が参加しており、KEDOに参加しているのは合計12か国1機関である。
理事会での意思決定を受けたKEDOとしての日常業務はKEDO事務局が遂行している。ニューヨークにある事務局本部では、現在、カートマン事務局長(米国人)以下約50名が勤務しており、北朝鮮のクムホ(琴湖)にある現地事務所にも事務局より数名の職員が派遣されている。
図3にKEDOの組織図、
表3にKEDOの業務内容、
表4に軽水炉供給取り決め内容を示した。(参考文献10)
4.KEDOプロジェクトの現状
4.1 軽水炉プロジェクトの開始
1995年12月、KEDOと北朝鮮との間で軽水炉プロジェクトに関する供給取り決めが締結され、KEDOが北朝鮮に対し出力1000MWeの軽水炉2基を提供すること、軽水炉完成後、北朝鮮は3年の据え置き期間を含む20年間で無利子返済することで合意した。
1996年9月に北朝鮮の潜水艦が韓国に侵入した事件が発生し、北朝鮮と関係の深いKEDOの活動が数か月にわたり停止した(参考文献3、5)。
この供給取り決めの締結を受けて、1997年8月、北朝鮮咸鏡南道(ハムギョンナムド)琴湖(クムホ)地区の軽水炉建設用地で土地の造成を中心とする準備工事の着工式が行われ、軽水炉建設に向けての工事が開始された。
1998年8月31日、北朝鮮はミサイル(テポドン)人工衛星を発射し、日本政府は軽水炉建設費の費用分担決議の署名を約2か月凍結すると共にKEDOと日本政府、韓国政府との資金供与協定の各国会での承認が大幅に遅れた(参考文献6、7)。
2001年9月には、北朝鮮から建設許可が発給され、サイトの掘削工事が始まり、翌2002年8月には軽水炉建屋基礎部分へのコンクリート初注入式典が開催された。
4.2 北朝鮮のウラン濃縮計画疑惑とKEDOによる重油供給の停止
2002年10月、北朝鮮は、訪朝したケリー米大統領特使に対して、ウラン濃縮計画の存在を認める発言を行った。(その後一転して否定)。これを受け、翌11月に開催されたKEDO理事会は、それまで実施されてきた毎年50万トンの重油の供給を同年12月より停止すること、また、将来の重油の供給は、北朝鮮が高濃縮ウラン計画を完全に撤廃するための具体的かつ信頼できる行動をとることにかかっていることを決定した。
4.3 北朝鮮のエスカレーション
これに対し北朝鮮は、2002年12月、核凍結解除および核施設の稼働と建設の即時再開を発表し、続いて黒鉛実験炉、燃料加工工場および使用済核燃料再処理施設の封印を撤去し、IAEA査察官の国外退去等の措置を一方的に取った。更に翌2003年1月10日には、NPT脱退を表明した。
こうした一連の北朝鮮の行動に対し、IAEAは数次に亘り理事会決議を採択し、北朝鮮に対して、速やかにかつ検証可能な形で、いかなる核兵器計画も放棄するよう求め、国連安保理も本件を取り上げたが、北朝鮮は、更に2003年10月、「8000本余りの使用済み核燃料棒の再処理を成功裡に終了した」と公式に表明するなど、改善が見られなかった。
4.4 軽水炉プロジェクトの「停止」
このような北朝鮮の行動は、KEDOによる支援の前提となっている「合意された枠組み」に明らかに反するものであるため、2003年11月に開催されたKEDO理事会は、軽水炉の建設を同年12月1日より1年間に亘って「停止」することを決定した。「停止」期間は2004年11月末までとなっていた。
2004年4月11日、KEDO理事会は、2003年から凍結していた北朝鮮への軽水炉停止期間をさらに延長することを決定した(参考文献12)。
4.5 第4回六カ国協議で北朝鮮は全ての核を放棄
北京で2005年7月26日から休会を挟んで開かれていた北朝鮮の核開発問題に関する第4回六カ国協議で、同年9月19日、北朝鮮が全ての核兵器および既存の核計画を放棄すること、
核不拡散条約(NPT)と国際原子力機関(IAEA)の保障措置に、早期に復帰することなどで合意した。その見返りに、米国は朝鮮半島に核兵器を配備しないこと、北朝鮮に核兵器・通常兵器による攻撃や侵略を行う意図のないことを確認した。焦点となっていた北朝鮮の原子力「平和利用の権利」については「適当な時期に」軽水炉提供問題について議論を行うことに合意した、としている。北朝鮮が今回初めて、すべての核兵器と核計画の検証可能な放棄を約束したことは、「朝鮮半島の非核化を実現する上で重要な基礎」としている。その上で、「今回の合意を迅速かつ着実に実行に移していくことが大事」と指摘している(参考文献11、原産新聞「北朝鮮は全ての核を放棄」(2005年9月22日)第1面)。
注:協議での主要な争点は、1)朝鮮半島の非核化の性格、2)廃棄の対象となる核施設の範囲、3)核廃棄とその見返りのタイミングの3点がある。「核放棄の対象」については、北朝鮮が平和利用であっても、それを隠れ蓑にして核兵器開発を行った過去の経験から、米国側が全ての核関連の活動を廃止しなければいけないと強硬に主張したのに対し、北朝鮮は、原子力平和利用は主権国家の固有の権利で、核放棄の対象は核兵器関連だけであると主張している(参考文献11、原産新聞「六カ国協議 合意実現には難題山積か」(2005年10月13日))。
4.6 KEDO廃止の方針固まる
2005年11月23日のKEDO理事会でKEDO廃止の方針が固まった。この方針は、KEDOを構成する各国が持ち帰り11月中に決めることになった。KEDO廃止が及ぼす影響については、6者協議が進んでいるので対立が深刻化する恐れはないと予想されている。北朝鮮外務省スポークスマンは、2005年11月28日、2年前の重油供給中断以来、軽水炉の建設も中断していたので、軽水炉事業の中止も「時の問題」だったとしながらも、北朝鮮が「莫大な経済的損失」を負ったとし、米国が合意枠組みを完全に覆したことで生じた「政治的・経済的損失」に補償を要求する、としている(参考文献11、原産新聞「KEDO廃止の方針固まる」(2005年12月1日))。(参考文献10)
<図/表>
<関連タイトル>
System 80+ (02-08-03-02)
北朝鮮の原子力研究センター (14-02-02-01)
<参考文献>
(1)KEDO:Korean Peninsula Energy Development Organization,Annual Report 1997/1998(1998年9月)、
http://www.KEDO.org/
(2)Duke Engineering & Services:DE&S Marks First Anniversary at KEDO,Duke Engineering & Services,”Dialog,”Sep./Oct.1997(1997年9月)
(3)梅津至:重要段階に入ったKEDO、都市出版、外交フォーラム(1998年2月)、p.93
(4)伊豆見 元、小野 正昭、キム・ヨンモク、ジョエル・ウィット:朝鮮半島エネルギー開発機構の今後の課題、霞山会、東亜、No.374(1998年8月)、p.8
(5)松本 潔、ペク・ハクスン、スコット・スナイダー:KEDO知られざる実態、読売新聞社、This is 読売(1999年3月)、p.268、p.273
(6)小野正昭:安全保障機関としてのKEDOの重要性、岩波書店、世界(1999年5月)、p.92
(7)都市出版:特集「北朝鮮の虚と実」、外交フォーラム、第12巻、第9号(1999年9月)
(8)日本原子力産業会議:アジア諸国 原子力情報ハンドブック1999年(1999年3月)
(9)核物質管理センター:第16回保障措置セミナー テキスト(1996年11月)、p.29−32
(10)外務省:外交政策>軍縮>軍縮・軍備管理・不拡散>朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)
(11)日本原子力産業会議:原産新聞、「EDOでの経験から学ぶ」(上)(2004年2月5日)、「難航予想される六カ国協議」(2005年8月25日)、「六カ国協議が合意 北朝鮮は全ての核を放棄」(2005年9月22日)、「六カ国協議 合意実現には難題山積か」(2005年10月13日)、「KEDO廃止の方針固まる 北朝鮮は補償要求」(2005年12月1日)
(12)日本原子力産業会議:原子力年鑑2006(2005年)、p.145−146