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<概要>
 科学技術のリスク認知において、専門家と一般市民との間に差異があることは、多くの先行研究が繰り返し示してきている。リスク認知とは、主観的なリスクの大きさのことであり、技術的なリスクアセスメントの結果とは違う。
リスク認知には、その対象科学技術に関する知識だけでなく、個人の経験や接触する情報源、そこから得られる情報の内容、科学技術一般に対する価値観、当該科学技術の特徴など様々な要因が影響を与えている。専門家と一般市民はこれらの全ての要因において異なっており、それぞれが入手した異なる情報を異なる価値観や知識と照らし合わせてリスクを評価するため、結果としてリスク認知も異なっているのである。
<更新年月>
2005年12月   (本データは原則として更新対象外とします。)

<本文>
 科学や技術のリスクに対する感じ方が専門家と一般市民とで大きく異なっていることは、Slovic,Fischhoff,&Lichitensteinの研究(文献4、7)をはじめとして、心理尺度を用いた研究により繰り返し示されてきている(文献5)。どのような科学技術であっても、当該領域の専門家はリスクを小さく認知し一般市民は大きく認知する傾向があるが、対象が自分の研究領域を離れるとリスク認知は当該専門家よりも一般市民のそれに近くなる傾向がある。一方、電力社員における原子力発電や、薬品メーカー社員における化学物質に対するリスク認知は、時として学会や研究所の科学者よりも安全側にふれる場合がある(図1)。これは、当該技術や物質に対するコミットメントの強さや訓練・経験、組織へのロイヤリティなどが、リスク認知に影響を及ぼしているためと考えられる(文献1、2)。
 リスク認知とは、リスクに対する主観的な感じ方であり、当該の科学技術についての知識や経験、日常生活において接触している情報の内容、科学技術に対する価値観や着目点など多様な要因が影響している。従って、専門家と一般市民のリスク認知の差は、一般市民の科学技術についての単なる知識不足や誤解のみから生じているのではない。以下に、リスク認知の差異に関わる主要な要因をいくつか説明する。
(1)科学技術に関する知識の量と質の違い
 専門家と一般市民の違いとしてまず挙げられるのは、科学技術に関する知識の内容や量である。知識の量や質が専門家と素人である一般市民とで異なっているのは当然であり、それがリスク認知に影響していることは否定できないが、一般市民の少ない知識の内容が科学技術の危険性に関するものに偏っているわけではない。
 前述の調査(文献1)では、原子力専門家と電力社員が圧倒的に多くの原子力関連知識を持っており、知識内容も豊富であるが、その大部分は専門知識と事実であり価値判断を伴うものは2割程度であった(価値判断とは、ここでは原子力発電に対する肯定的もしくは否定的な評価を含意するものを指す。肯定的キーワードとしては「社会的有用性」や「環境配慮」「地域振興」など、否定的キーワードとしては「リスク」「感情的反応を表す言葉(NIMBYなど)」「社会との摩擦に関するもの」など)。一般市民の知識は、科学的知識や事実に関するものが約5割、原子力発電に対する肯定的知識と否定的知識はそれぞれ2割、事故(JCO、チェルノブイリなど)の影響についての否定的連想が1割強で構成されていた(図2)。つまり、一般市民は知識の量は確かに少ないが否定的な内容への偏りがあるとは言えない。
(2)科学技術に対する価値観と評価基準
 専門家と一般市民とでは、特定の科学技術だけではなく、科学技術というもの一般に対する価値観や評価基準が異なっている。全体的な傾向として、専門家は科学技術の利便性などのプラス面を高く認識し、一般市民は科学技術の不測の事態などのマイナス面を強く意識する傾向がある(図3)。専門家は、不確実性や悪用・誤用などのヒューマンファクターを一般市民と同程度に意識している一方で、そのようなリスクがあっても科学技術をコントロールできるという強い自信を持っている。特定の科学技術に関しては、同様の傾向がより強く見られる。
 科学技術を評価する際も同様に、専門家は利便性や社会的有用性に着目し、一般市民は予測可能性や不測の事態の可能性に注目する(表1)。同じ技術でも、異なる側面に着目することによって評価も異なってくるのは当然である。
(3)科学技術に関する情報源とその内容
 専門家と一般市民とでは、他者との会話や目にするメディアなどから入手する科学技術情報の内容も大きく異なっている。また、入手した情報を理解する過程で本人の価値観や過去の経験が影響するため、例え同じ新聞記事を読んでも読み取る意味は人によってそれぞれ異なる。
 一般市民の多くは、新聞とテレビから科学技術に関する情報を得ており、その内容はリスクを比較的高く評価していると認識している。専門家は多様な情報チャネルを持ち、特に専門家の話や専門書が情報源として役立つと考えており、その内容は技術の安全性を伝えていると認識している。メディアを媒介しない対人的な情報源についても、専門家は専門家同士、家族、市民団体などの多様な相手と、安全性を高く評価する内容の会話をしている。一般市民は科学技術について他者と話す機会自体が少なく、話す機会があっても会話内容は危険性に関するものである。
(4)科学技術リスクの特性
 上述のような専門家と一般市民の保持する知識や価値観、情報に関する環境の差異だけでなく、技術や物質の持つリスクの特徴によってもリスク認知は影響を受ける。すなわち、(イ)非自発的に晒される、(ロ)個人の予防行動では避けることが出来ない、(ハ)被害が不平等に分配される、(二)被害を受ける範囲が広い、(ホ)一度に多くの被害者が発生する、(ヘ)致死的、(ト)まれにしか起こらない、(チ)将来世代に影響する可能性がある、(リ)進行過程が見えない、(ヌ)よく知らない・新奇、(ル)人為的・人工的、などの特性のうち、あてはまる特性が多い科学技術ほどリスクは高く感じられる(文献6)。専門家は自分の専門領域の技術に関しては膨大な専門知識を持ち多くの経験や訓練を積むことによりこれらの影響から逃れているが、一般市民のリスク認知はこのような特徴の有無に影響されやすい。
(5)リスク認知に差があることは問題か
 専門家と一般市民のリスク認知の差が問題視されるのは、新しい科学技術を社会に導入する場合や、既存の科学技術が事故などをきっかけに社会と摩擦を起こした場合であろう。このような場合、最近まで、専門家のリスク認知は科学的なリスク評価に基づいた”合理的”なものであり、一般市民のリスク認知は知識不足や感情的反発などから生じる”非合理的”な認識だとされていた。そして、摩擦の解消のためには、科学技術情報を提供したり教育啓蒙をしたりして、一般市民のリスク認知を専門家のそれに近づけるべきだと考えられてきた(文献3)。
 しかし、上で述べたようにリスク認知には、知識の量や質、入手する情報、当該が核技術の特徴、科学技術に対する価値観や注目点など情報処理過程などが影響している。これらの相違を考慮すると、専門家も一般市民も自分の持てる情報を用いて、自分なりの価値観や評価基準に基づいて判断しているにすぎず、一般市民だけが”非合理的”で誤った認知をしているとはいえない。むしろ、リスク認知において専門家と一般市民との差が存在するのは当然のことといえるだろう。
<図/表>
表1 科学技術を評価する際に重視する点
表1  科学技術を評価する際に重視する点
図1 原子力発電のリスク認知の差
図1  原子力発電のリスク認知の差
図2 原子力発電に関する知識内容の構成割合
図2  原子力発電に関する知識内容の構成割合
図3 科学技術一般に対する価値観
図3  科学技術一般に対する価値観

<関連タイトル>
原子力におけるリスクコミュニケーション (10-06-01-11)
東海村におけるリスクコミュニケーション活動 (10-06-01-14)

<参考文献>
(1)小杉素子・土屋智子:科学技術のリスク認知に及ぼす情報環境の影響—専門家による情報提供の課題—、(財)電力中央研究所研究報告、Y00009(2000)
(2)Kraus,Malmfors,& Slovic:Intuitive Toxicology : Experts and Lay Judgements of Chemical Risks,Risk Analysis,12(2),p.215-232,(1992)
(3)National Research Council:Improvimg Risk Communication,National Academy Press,Washington,DC USA(1989)(「リスク・コミュニケーション」前進への提言、林裕造・関沢純監訳、化学工業日報社)
(4)Slovic,P:Perception of Risk.Science,236,p.280-285(1987)
(5)Slovic,P:The Perception of Risk.London and Sterling,VA:Earthscan Publications Ltd(2000)
(6)日本リスク研究学会編:リスク学辞典、TBSブリタニカ(2000)
(7)Slovic,Fischhoff,&Lichitenstein:Rating Risks.Environment,21(3),p.14-20,p.36-39(1979)
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