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<概要>
 2000年2月に、タイ王国のサムートプラカーン地方で、放射線被ばく事故が発生した。コバルト60線源を装着した遠隔放射線治療器が使用不能になった後、長期にわたる管理の怠慢と、さらに、この機器が放射線に関する知識が全くない人々の手で、取り壊されたため起こった事故である。不快症状を訴えて来院した複数の患者の容態から、急性放射線症の疑いを抱いた医師によりタイ原子力庁への通報で事態が発覚した。 調査によれば2月1日から約20日間、線源を装着した治療器の所在は不明であった。また、線源は密封状態に保たれていたが、遮へいのない状態で、解体された建家内にスクラップに紛れて放置されていたことが判明した。そのため10名の重度の被ばく者が発生し、内3名は治療中に死亡した。2000年2月21日、タイ当局は、国際原子力機関(IAEA)に対し、事後の医療協力を要請、国外の医療および放射線防護専門家等と国内専門家等の意見交流ならびに事故の総括が行われた。
<更新年月>
2003年01月   (本データは原則として更新対象外とします。)

<本文>
1.タイ王国の原子力行政
 タイ王国は、原子力エネルギー法第19条にもとづき、タイ原子力庁(OAEP:Office of Atomic Energy for Peace)が、タイ原子力委員会(The Atomic Energy Commission for Peace)の事務局として、原子力安全、原子力政策および特定の研究開発を行っている。
2.コバルト60(60Co)線源の管理
 事故に係った60Co線源は、バンコックの病院(RS Hospital)に、ドイツから輸入(1969年)された、がん治療用ガンマトロン−3遠隔放射線治療器に当初装着されていたものであった。1981年、最終更新時の線源強度は196TBq(5300 Ci)であった。その後、製造元タイ支店の倒産で、1994年以降、線源の継続的利用が不能になった。そこで、当病院は、カナダ製遠隔放射線治療器(以下、単に治療器と記す)を新たに購入し、古い治療器と線源をK社に売却した。この際、病院は線源の移転をOAEPに通知せず、K社がOAEPに対して行うように義務付けられた使用停止になった治療器の所有移転通知が行われなかった。
 K社は、バンコック地区にある同社保有倉庫での60Co線源を収納した使用済み治療器の貯蔵をOAEP宛に申請し、許可を得た。1993年、K社は保管庫拡張の届出をOAEPに対して行ったが、その認可取得以前にバンコックから約400km離れたサムートプラカーン地方の空き地に建設予定の倉庫での保管へと届出内容を変更した。その際、OAEPはこれに同意せず、K社に対し同機器のバンコックでの保管という助言と保管の際の安全基準の遵守を指導したが、K社はこれを無視し、地方倉庫での保管を継続した。但し、1996年にはOAEPの検査を経て保管中の線源の一部が、カナダに返却されている。1999年、地方保管庫の賃貸契約が終了したためK社は、同社の親会社所有の駐車場に保管場所を変更した。
 地域住民の話によると、事故に係った線源を内蔵した治療器が駐車場に移動したのは1999年10月で、事故発生当時、この駐車場には使用停止となった3基の治療器が置かれていたという。
3.放射線被ばく事故の発生に至る経緯
 自覚症状を訴えた患者等の言い分によれば、60Co線源を収納した治療器のヘッドを解体し、2000年1月24日にこれをスクラップとして購入(新聞報道等では、盗難と報じられた)したという。このスクラップは、同年1月末まで住宅から約100m離れた空き地に放置され、同年2月1日個人の住宅で4名がかりで治療器の円筒金属部を取り外そうと試みた。しかし、解体不能であったため作業を中断、廃品処理場に持ち運び、同処理場建家内で酸素アセチレントーチで解体した。解体直後、円筒容器内から黄色で悪臭のある気体が発生、同時に金属片2個が取り出された。その直後から関係者1名はすでに不快感を持ったという。解体に引き続いて金属片を含むスクラップは、別のスクラップ業者が所有するスクラップ処理場に持ち込まれ処理されたが、それ以降、関係者が次々と指のはれや複数の症状(激しい頭痛、吐き気、嘔吐など)を訴え、同年2月15日と16日にはサムートプラカーン病院に相次いで来院、検査ののち、いずれも入院治療が必要とされた。解体関係者でバンコックの病院を訪れ、入院した者もあった。
4.事故の認定、対応および線源の回収
 2000年2月18日、サムートプラカーン病院の医師達は患者の症状が、電離放射線被ばくによるものではないか、との疑いを強め、かつ、同じく疑念を抱いていた解体に立ち会った廃品処理場の持ち主から医師への状況説明も得られたので、医師は3名の患者の件を、OAEPに電話で通報した。OAEPの係官らが出動、地元公衆保健衛生員等とともに金属片の探索を開始、これをスクラップ処理場付近の排水溝から探し出した。しかし、予想に反して、これらの金属片には放射能のないことが確認された。
 そこで、線源再調査のため、車両による環境放射線モニタリングが行われた。たまたま、治療器のヘッドを解体した廃品処理場付近の道路走行中に、放射線レベルの上昇が認められ、最終的に同処理場に線源が存在する可能性が大きくなった。OAEPの係官らは、重大な電離放射線被ばく事故が発生したと認識し、直ちに、緊急対応チームが組織され、地元警察防衛機構の協力を得て、同処理場とその周辺を綿密にモニタリングし、300μSv/h以上の区域への一般人の立ち入りが禁止された。
 ついで、同処理場建家内で、 図1 のように山積されたスクラップの近くの最大放射線強度を示す場所を精査した。この際、X線 蛍光増倍スクリーンを使用して線源( 図2 参照)位置の確保につとめ、回収作業者の被ばく低減用の鉛遮へい体とか、竹棒の先端に電磁石を装着した遠隔操作具等の安全防護具が準備され、リハーサルの後、2月20日真夜中の00時20分に、長さ約4cm、直径2.5cmの線源を回収、鉛容器に納められた。 図3 は、線源回収作業直前に測定された廃品処理場およびその周辺のモニタリング結果と同処理場付近の配置の見取り図を示したものである。本図には、建家内部のスクラップの山の位置ならびに遮へいがなかった線源の位置も記されている。また、 図4 には線源位置から周辺数地点間の距離が記されている。
 線源は鉛容器に納められ、直ちに、OAEPの安全貯蔵設備に搬送された。その後ふたたび放射線モニタリングを行った結果、処理場および周辺の放射能レベルは自然放射線レベルに復帰したことが確認され、緊急事態は終了した。
 その間緊急対応チームは、別途、バンコック近郊で紛失した3基の治療器を発見、その内の2基には60Co線源が収納されていた。
5.放射線被ばく線量
 60Co線源による放射線被ばくは、廃品処理場で治療器が解体され、人々に気づかれずに、スクラップの山に紛れた2000年2月1日から、線源が鉛容器に納められ、処理場から撤去され、放射線レベルが外部環境と同様の自然放射線レベルにまで低下した2月20日までの約20日間に発生したものである。
 放射線病理学的見地から被ばく関係者は4群に分類されている。1群は廃品処理場で治療器を解体した者4名、2群は廃棄物処理場の作業員とその家族6名である。これら両群の人々の被ばく量が最大であった。線量はおよそ2Gyと推定されたが、うち4名は6Gy以上であった。その内の3名が被ばく後、2か月以内に死亡した。3群は廃品処理場の付近に居住する住民で、その後の調査により、彼らの被ばく量は、いずれも大きくないことがわかった。4群はOAEPの係官等および線源の発見・回収作業従事者で、最大被ばく量は32mSvであった。タイ当局は、事後の医療措置についての助言を求めるため、2000年2月21日に国際原子力機関(IAEA)に対し、主として事後の医療協力を要請、国外の医療および放射線防護専門家等と国内専門家等の意見交流ならびに主にIAEAによる事故の総括が行われた。
<図/表>
図1 発見された
図1  発見された
図2 放射線治療器に装着されていた円筒形60Co線源
図2  放射線治療器に装着されていた円筒形60Co線源
図3 線源探索チームのモニターで測定された廃品処理場と周辺の放射線レベルならびに同建家および周辺の配置見取り図
図3  線源探索チームのモニターで測定された廃品処理場と周辺の放射線レベルならびに同建家および周辺の配置見取り図
図4 線源位置から周辺数地点間の距離の概念図
図4  線源位置から周辺数地点間の距離の概念図

<関連タイトル>
ブラジル国ゴイアニア放射線治療研究所からのセシウム137盗難による放射線被ばく事故 (09-03-02-04)
メキシコ/米国におけるコバルト60で汚染された製品による市民の被ばく (09-03-02-10)
千葉市におけるイリジウムによる放射線被ばく事故 (09-03-02-11)

<参考文献>
(1) IAEA:The Radiological Accident in Samut Prakarn,IAEA Report STI/PUB/1124(2002)
(2) Gonzalez A.J.:IAEA Bulletin,Quarterly Journal of the IAEA,41,No.3 1999
(3) M.Hibbs:Nucleonics Week(in Japanese),6th,April and 1st,June,2000
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