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1.START−1交渉の経緯
1970年代後半に入り、ソ連の軍事・戦略上の動きが急速に活発化していく状況の下で、1970年代前半に調印されたSALT−1条約(Strategic Arms Limitation Treaty−1:第1次戦略兵器制限条約)およびABM条約(Anti−ballistic Missile Treaty:弾道弾迎撃ミサイル制限条約)を基盤とした米ソのデタント(緊張緩和)は、急速に形骸化していった。
こうした中で、米国のレーガン政権は戦略兵器の規制に関する軍備管理交渉を開始するように同盟国および議会から強い突き上げを受け、新たな交渉の枠組みを検討し始めた。それは、START(Strategic Arms Reduction Talks:戦略兵器削減交渉)と名付けられ、1982年6月に米ソ間で交渉が開始された。
レーガン政権は、ソ連が保有したSS−18(地下サイロに収納された核ミサイルを撃破できる高精度の大陸間弾道弾)に対し厳格な規制を課すことなどにより、ICBM(Inter−continental Ballistic Missile:大陸間弾道ミサイル)の保有数で劣勢にあった米国の核戦力のバランスを回復させることに最大の主眼を置いた。また、SALT−1条約が、核弾頭の数ではなく、その運搬手段としてのICBMの数を制限するものであったため、1基のICBMに搭載する核弾頭を複数化することによって、同条約の下で米ソの核弾頭保有数が数倍にも増大してしまったことへの反省に立って、戦略核兵器の運搬手段の数よりも弾頭数を一義的に制限しようとした。
1982年6月の開始以来、START−1交渉は様々な障害に直面し、1991年7月の調印に至るまで約9年の年月を要した。START−1交渉は、3期に大別できる。第1期は1982年6月から1983年12月までである。この時期は、米ソ間の関係が極めて緊張した時期であり、交渉において実質的な進展は全く見られなかった。そして1983年12月、米国がNATO(North Atlantic Treaty Organization:北大西洋条約機構)の欧州諸国に中距離核ミサイル・パーシング−2および地上発射巡航ミサイルを展開するに至り、米ソ間の軍備管理交渉は全て中断するに至った。
第2期は1985年3月から1988年1月までである。1985年3月ソ連にゴルバチョフ政権が発足し、START−1交渉を含め軍備管理交渉は次第に現実味を帯びる。同政権の発足を受けて、米ソは直ちにSTART−1、INF(Intermediate−range Nuclear Force:中距離核戦力)、SDI(Strategic Defense Initiative:戦略防衛構想)規制に関する交渉の3つの交渉からなる包括軍縮交渉を開始した。そしてレーガン政権は対ソ対決姿勢から対ソ協調姿勢へと劇的に外交姿勢を切り換え、一連の軍備管理交渉は実質的に進展を見、1987年12月、INF条約が調印された。INF条約の調印はSTART−1交渉にも大きな弾みを与えたが、いくつかの問題を巡り対立点が解消されず、レーガン政権中、調印には至らなかった。(Strategic Arms Reduction Treaty 1:第一次戦略兵器削減条約、正式には、Treaty between the United States of America and the Union of Soviet Socialist Republics on the Reduction and Limitation of Strategic Offensive Arms Signed in Moscow on July 31,1991)
第3期は1988年1月から1991年7月までである。ブッシュ政権は対ソ協調路線を一層前面に打ち出し、START−1(第一次戦略兵器削減条約、以下では「START−1条約」という。)の調印に優先順位を置いた。そして残されたいくつかの重要課題について妥協が成立し、1991年7月、モスクワでの米ソ首脳会談においてSTART−1条約はついに調印を迎えた。
ソ連では、START−1条約の調印から間もなく、保守派によるクーデター事件が勃発したが未遂に終わったことは、連邦の解体に決定的な拍車をかけることになった。そして1991年12月末までにソ連は解体し、旧ソ連が保有していた戦略核兵器は、ロシア、ウクライナ、カザフスタン、ベラルーシの4か国に分散することになったため、どのような形で旧ソ連の戦略核兵器が継承され、START−1条約が履行されるのかが緊急の課題として浮上した。そうした状況の下で、1992年5月にリスボン議定書が調印され、ロシア以外の3国は、領土内の戦略核兵器を撤去し、ロシアに移送することを約束し、ロシアが旧ソ連の全ての戦略核兵器を継承してSTART−1条約を履行することになった。
リスボン議定書では、START−1条約の発効は、ロシア以外の旧ソ連3国が同条約を批准し、非核兵器国としてNPT(Treaty on the Non−Proliferation of Nuclear WeaponsまたはNon−Proliferation Treaty of Nuclear Weapons:核兵器拡散防止条約)に参加することが条件とされていたが、ウクライナの条約批准とNPT条約加盟が難航し、START−1条約発効の最終段階である当事国5か国の批准書の交換は、2年以上のちの1994年12月にずれ込んだ。
2.START−1条約の概要と意義
START−1条約は、発効後7年間で3段階に分け、米ロの戦略核兵器を同等の水準に削減する。それぞれの段階の終わりまでに、合意されたカテゴリーの戦略核兵器について個別の暫定的水準に削減する。
戦略核兵器の運搬手段の上限は1,600基であり、ICBM、SLBM(Submarine Launch Ballistic Missile:潜水艦発射弾道ミサイル)および戦略爆撃機をそれぞれ1基として算定する。
戦略核弾頭数の上限は6,000発であり、弾道ミサイルに4,900発、戦略爆撃機に1,100発が割り当てられる。また、ロシア側はSS−18型ICBMを、1989年時点の308基(3,080弾頭)から154基(1,540弾頭)に半減する。また、全弾道ミサイルの投射重量の上限は3,600トンとされている。
START−1条約の下で、米国は弾頭と運搬手段をそれぞれ52%および16%程度削減する必要があり、これに対し、ロシアは弾頭と運搬手段をそれぞれ45%および36%程度削減する必要がある。
また、START−1条約の履行状況を検証するため、遠隔監視、現地査察、情報交換などを行うことが取り決められている。
一方、START−1条約には、戦略爆撃機が搭載する核弾頭数を実態より少なく算定したり、SLCM(Submarine Launch Cruise Missile:潜水艦発射巡航ミサイル)を規制の対象外とするなど、軍縮・軍備管理の視点からは不徹底と考えられる面もある。しかしながら、START−1条約は、米国とソ連/ロシアが歴史上初めて戦略核兵器の実質的削減に合意したものとして重要な意義を有するものであり、その後継条約であるSTART−2条約の実施のために必要不可欠な枠組みを提供するものである。2001年12月、米ロ両国は、START −1に基づく義務の履行を完了したことを宣言した。
3.START−2条約の経緯
1991年7月のSTART−1条約の調印から間もなく、ソ連では保守派のクーデター未遂事件が発生し、これが連邦の解体に決定的な拍車をかけることになった。この間、1991年の秋〜冬にかけて、ブッシュ大統領とゴルバチョフ大統領はそれぞれ新たな核兵器削減計画を発表し、軍備管理に弾みをつけた。
ソ連崩壊後の1992年1月には、ブッシュ大統領とエリツィン大統領はそれぞれ戦略核兵器に関する一方的削減計画を発表した。このことは、ソ連解体によりSTART−2(Strategic Arms Reduction Treaty 2:第二次戦略兵器削減条約、以下では「START−2条約」という。)の履行の確保が緊急の課題となり、同条約を一層強化する必要性が米ロ両国によって認識されたこととあいまって、START−2交渉が開始される契機となった。
1992年2月、米ロ首脳はキャンプデービットにおける会談で、START−1条約を超え戦略核兵器の大幅削減を目指すことで原則合意に達した。また、両首脳はお互いに相手国を仮想敵国と見なさないと宣言した。
その後両国は、戦略核弾頭の削減数、削減時期、削減範囲等を巡って数次にわたる交渉を重ね、1992年6月、ワシントンにおける首脳会談でSTART−2条約に関する基本合意に達した。同合意は、第1段階として米ロ両国の戦略核弾頭を3,800〜4,250発に削減、最終的には2003年までに1989年当時の約3分の1の3,000〜3,500発に削減し、併せて先制核攻撃の手段となりやすいMIRV(Multiple Independently Targetable Re−entry Vehicle:個別誘導複数目標弾頭)化ICBMを全廃することを骨子とするものである。
この基本合意を受けてさらに交渉が重ねられた。この間、いくつかの争点を巡って難航する場面があったものの、1993年1月、米ロ首脳は、START−2条約に調印した。ただし、97年9月に署名された議定書により、削減期限が2007年まで延長された。
2000年4月にロシア議会はSTART−2批准法案を可決したが、これには米国がABM条約からの脱退などを行った場合は、START−2から脱退する権利を留保する旨の規定が含まれていた。米国は96年1月にSTART−2条約を批准したもののSTART−2条約を修正した同議定書については批准せず、START−2は発効していない。その後、2002年6月ロシア外務省は米国のABM条約からの脱退を受け、「条約の如何なる国際法上の義務も負わない」と表明している。
4.START−2条約の概要と意義
第1段階として、米ロ両当事国は、START−2条約発効から7年間に、戦略核弾頭数を3,800〜4,250発に削減する。このうち、MIRV化ICBM弾頭数は1,200発、SLBM弾頭数は2,160発、SS−18弾頭数は650発である。
第2段階では、2003年1月1日までに、戦略核弾頭数を3,000〜3,500発に削減する。このうち、ICBM弾頭と爆撃機搭載弾頭の合計は1,500〜1,750発であり、SLBM弾頭数は1,700発である。両国は、MIRV化ICBMを全廃、または単弾頭化する。また、ロシアはSS−18を全廃する。
これにより、1989年6月の時点で、米国とソ連がそれぞれ保有した12,570発、10,998発の戦略核弾頭は、3,000〜3,500発の総枠の下で、それぞれ72〜76%および68〜73%削減されることになる。
弾頭数の削減に伴って運搬手段であるICBMのサイロも削減されることになる。すなわち、2003年1月1日までに、米ロ両国はMIRV化ICBMのサイロを廃棄するか、単弾頭ICBMのサイロに転換しなければならない。また、戦略爆撃機が搭載する核弾頭数は、実態に合わせて算定される。
START−1条約、START−2条約の下での米国およびソ連/ロシアの保有する戦略核弾頭数の推移を表1、表2に示す。
さらに、条約の実施を担保するため、START−1条約と同様の検証措置(査察など)が実施されることになっている。
START−1条約に加え、START−2条約が調印されたことは、冷戦が正式に終結したことを象徴し、米ロが新たな戦略関係を構築するための枠組みが築かれたことを意味する。しかし、両条約が予定どおりに実施されるかどうかは、ロシアを含む旧ソ連地域が抱える不安定性に照らし、必ずしも明らかではない。
こうした状況の下で、米国をはじめとする西側諸国がロシアを含む旧ソ連地域に対しどのような立場をとるかということは、これらの諸国が両条約を中心とした国際的な義務を履行し、今後安定した国際秩序が構築されるかどうかを左右しかねないほどの重要性をもつと言えよう。
米国とソ連/ロシアの戦略核兵器をめぐる軍備管理交渉の経緯を表3、またSTART(兵器削減条約)の概要を表4に示す。
5.モスクワ条約
STARTの交渉は、2001年9月の米同時多発テロ事件以降、国際テロと弾道ミサイルや大量破壊兵器の脅威との関連性を一層強調するようになった。米のABM条約脱退表明を受けて、従来の核兵器管理の枠組みが崩れ、新たな枠組みの構築が求められた。このような流れを受けて、米ロ両国は2002年5月モスクワでの米ロ首脳会議において、戦略核兵器の削減に関する条約(モスクワ条約)への署名を行った。同条約の経緯と概要を表5に示す。<図/表>