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<概要>
 民間では実施困難な基礎的研究や技術開発には国が資金を投入して研究開発を進め、開発された科学・技術の実用化を図ることが、投下資金の回収、技術競争での優位性確保、社会の要求拡大と急速な発展等に叶うと考えられている。米国エネルギー省DOEは、スチーブンソン・ワイドラー法、バイ・ドール法、国家競争力技術移転法、国家技術移転促進法、連邦技術移転商業化法等を利用し傘下の17施設に政府所有・民間運営方式(GOCO)を導入し、運営の合理化・活性化とともに、技術移転の促進を図っている。その成果は目覚しく、共同研究開発協定(CRADA)は年間約700件、施設利用研究は2000年の約2000件から2007年には3680件に増加、受託研究は、2000年の約1500件/年から2007年には2395件に増加した。また、特許と知的財産IPのライセンス利用件数は1999年に約2000件でその利用収入は約12百万ドル、2008年には約6100件で収入は約50百万ドルに増加している。DOE国立研究所の特許とIPが業界で広く利用されるようになってきた。研究所の運営方式と合わせて、種々の研究協力制度等を利用した技術移転が成功していると言えよう。
<更新年月>
2011年12月   

<本文>
1.DOEの国立研究所等の技術移転の考え方
 米国は国立研究所や大学に多額の資金と人材を投入し、政治・経済的な理由から、民間企業では実施が困難な基礎的研究や技術開発を進めている。また、投下された資金の回収と開発された科学・技術の実用化を図ることが、世界的な技術競争での優位性確保と社会の要求拡大と急速な発展に叶う途であると考えられている。しかし、国立研究所は官僚機構であるが故に法と規則にこだわり、世界の変化と社会の要求に遅れるおそれがある。そこで、市場原理を導入した運営方式や様々な技術の移転方式が検討され法制化も進んでいる。
 上記の観点から、米国エネルギー省(Department of Energy:DOE)の下にある国立研究所の運営方式、技術や特許の公開・利用方式を含めた技術移転方式とその利用成果を以下に述べる。
2.DOE国立研究所の運営方式
(1)DOE国立研究所と民営の歴史
 民間や大学がDOE国立研究所の運営に携わる歴史は比較的古い。第二次大戦中のマンハッタンプロジェクトでは、ハンフォードとオークリッジの両サイトの研究開発は民間会社(US Army Corps of Engineers)に運営が任され、ロスアラモスのサイトはカリフォルニア大学により運営された。また、シカゴパイルで知られたシカゴ大学は、原子炉研究でアルゴンヌ国立研究所を援助している。これらは、民間や大学による国立研究所の運営の成功例であり、その中で技術移転も進んだことから、戦後もこの方式が継承されることになった。
 戦後は、原子力エネルギーの民生利用のため1946〜1973年に原子力委員会(Atomic Energy Commission:AEC)が活動した。その後原子力の規制は原子力規制委員会(Nuclear Regulatory Commission:NRC)に、原子力の推進はエネルギー研究開発管理部(Energy Research and Development Administration:ERDA)が分担した。1973年の石油危機を経て、1977年にエネルギー省(Department of Energy:DOE)が創設され、ERDAはここに合併された。
(2)政府所有・民間運営方式(GOCO)の法的枠組
 政府が所有する研究所を民間が運営する方式をGOCO(Government-Owned, Contractor-Operated)という。一方政府が所有・運営する方式をGOGO(Government-Owned, Government-Operated)という。
 GOCOの資金や所有形態は、1967年の連邦科学技術審議会FCST(Federal Council for Science and Technology)で認められており、1984年の連邦政府調達政策の修正(Amendment of the Office of Federal Procurement Policy)では、研究所の契約運営者(Contractor)に、大学のほか民間企業も加えられている。
(3)政府所有・民間運営方式(GOCO)の長所と短所
 GOCOの長所は、1)民間等の人事、調達、会計管理、競争原理等による管理運営の効率化、2)政治的変動の影響を避け独立性と方向性の確保、3)民間への技術移転による経済の発展、4)官民の資源共有と相互交流による相乗効果への期待、である。
 しかしながら、a)政府の多量資金の投入により管轄官庁の権限が強化しがちである、b)運営契約者(Contractor)により研究所の管理・運営に差異が出る、c)研究開発の成果が運営契約者に流れがちである、d)監督が形骸化する可能性がある、等の欠点もある。
 技術移転の観点からは、GOCO方式により国の技術が民間に速やかに流れ、それが国全体の技術の向上、経済発展、民生の向上に繋がると期待されているが、一方では、研究開発の成果の多くが、運営契約者に流れがちで自由競争の建前から不公平が生じる可能性がある。このような理由から適切な法制による公平性が必要になる。
(4)DOEのGOCOの現状
 図1にDOE国立研究所とその所在地を示す。DOEには合計21の研究所及び技術センターがある。DOE国立研究所のうち、表1に17の科学研究所とその運営機関を示し、表2に4技術センターを示す。GOCOは合わせて16研究所、GOGOは5研究所である。このうちサバンナリバー生態研究所は、サバンナリバーサイトにあるジョージア大学の施設である。DOEを含む多くの機関から、資金が当該研究所に投じられており、DOEはここをDOE傘下の研究所に分類している。
 GOCOの研究所のうち、7研究所は大学が運営しており、その他は非営利団体と企業である。契約期間は各5年である。GOCO方式は、政府による直接運営は無いので研究所の独立性は高く、認可された研究テーマではあるが研究にも独自性が期待される。また、民間の経営への参入により必然的に技術移転の機会が増すことになる。
3.研究協力と技術移転に関する法制
 表3にDOE国立研究所や大学の研究協力と技術移転に関連する法制を示す。
(1)スチーブンソン・ワイドラー技術革新法(Stevenson-Wydler Technology Innovation Act)
 1980年のスチーブンソン・ワイドラー法では、国の技術移転のため国立研究所に研究・技術応用室(Office of Research & Technology Applications:ORTA)を設置する、技術情報の普及に努める、国立研究所が契約研究(Work for Others)により他の機関や民間の研究を行う等が勧められた。この契約研究の制度により民間研究所が他の機関に利用されるのと同様に、国立研究所相互の利用が増え研究開発の成果の向上に繋がった。
 1986年に同法は修正され、連邦技術移転法(Federal Technology Transfer Act:FTTA)が成立した。また、民間企業への技術移転・開発のため、GOGO‐民間研究所の共同研究開発協定(Cooperative Research & Development Agreement:CRADA)が制定された。この法によって、国は資金を出さないが人材、施設、知的財産(IP)を提供し、民間の施設利用や国研(国立研究所)研究員の民間への出向研究も可能になり、民間の技術改良と商業化が効率的に進むことになった。国研研究員の特許移譲権を認め、特許利用収入の15%以上を発明者が受け取れることになったが、この時点ではCRADAはGOCO研究所に認められていなかった。
 1989年には、国家競争力技術移転法(National Competitiveness Technology Transfer Act:NCTTA)が成立した。これは1986年の連邦技術移転法(FTTA)の修正法である。この法によりGOCO研究所は、民間と共同研究開発協定(CRADA)を締結できるようになり、全ての国研にCRADAが認められた。
 1995年には、国家技術移転促進法(National Technology Transfer & Advancement Act:NTTAA)ができ、CRADAから生じた成果を契約企業が排他的に実施する権利を認められた。
 2000年に、スチーブンソン・ワイドラー法とバイ・ドール法を修正した連邦技術移転商業化法(Federal Technology Transfer Commercialization Act:FTTC)が成立し、国立研究所の知的所有権(IP)やソフトウェアを民間に供与しその商品化を認める事になった(ソフトウェアのライセンス)。
(2) バイ・ドール法(Bayh-Dole University and Small Business Patent Act)
 1980年のバイ・ドール法の目的は、国の研究開発に中小企業が参加し産業の振興を図ることである。1984年までには、同法の対象を中小企業や大学などに限定しないで全ての団体に拡大した。さらに、その所有する特許を民間に排他的に利用させる権利を与えた。その際の実施収入(ロイヤリティー)の一部は発明者に還元される。研究開発者の発奮を促すわけである。これによって、大学の発明・発見を民間に技術移転する法的根拠ができ、技術移転機関(Technology Licensing Organization:TLO)が設置されるようになった。この効果は大きく、大学のライセンス収入は10年間で4倍にも増えている。
 1984年に成立した商標明確化法(Trademark Clarification Act:TCA)は、改正バイ・ドール法とも呼ばれ、民間企業はその規模にかかわらず排他的実施権を取得できることになった。さらに、上述した国家競争力技術移転法(1989)、国家技術移転促進法(1995)及び連邦技術移転商業化法(2000)により全ての国立研究所や大学がバイ・ドール法の対象になった。
(3)研究協力に関する法律
 1982年の中小企業革新技術開発法(Small Business Innovation Development Act:SBIDA)により、国による中小企業の研究開発の支援が開始された。
 1984年の国家共同研究法(National Cooperative Research Act:NCRA)は、複数企業の研究開発協力を推奨し、原資の共用(コンソーシアム)による共同研究開発が合法化された。
 2004年には、共同研究技術推進法(Cooperative Research & Technology Enhancement Act:CRTEA)が成立し、異なる機関に属する研究者が特許の帰属を気にしないで共同研究が出来るようになった。
4.技術移転の成果
 上述の法制を基に、国立研究所、民間研究所及び大学の間には、数年間に及ぶ共同研究開発協定(CRADA:Cooperative R&D Agreement)、数週間から数ヶ月に亘る施設利用研究(User Facility Agreements)、受託研究(Work for Others Agreements)等の協力方式がある。
 図2にDOE国立研究所の利用件数を示す。共同研究開発CRADAは1996年には1600件あったがそれ以降は700件/年で平均化し、2007年は697件、2008年は711件である。施設利用研究は2000年の約2000件から2007年には3680件に増加した。受託研究は、2000年の約1500件/年から2007年には2395件である。研究協力と技術移転の積極的な利用がうかがえる。
 図3にDOEの公開発明数、特許申請数及び特許取得数の2000年から2008年までの推移を示す。2008年の公開発明数は1460、特許申請は904、特許取得は370である。
 図4に特許と知的財産IPのライセンス利用件数及びそれによるDOEの収入の年次変化を示す。1999年の全ライセンス利用件数は約2000件でその利用収入は約12百万ドルであった。2008年には約6100件、収入は約50百万ドルに増加している。
 図3図4から、DOE国立研究所の特許等が年々業界で広く利用されるようになってきたことが分かる。研究所の運営方式と合わせて、種々の研究協力制度等を利用した技術移転が成功していると言えよう。
<図/表>
表1 DOE国立研究所の科学研究所(17施設)とその運営機関
表1  DOE国立研究所の科学研究所(17施設)とその運営機関
表2 DOE技術センター(4施設)とその運営機関
表2  DOE技術センター(4施設)とその運営機関
表3 DOE国立研究所や大学の研究協力と技術移転促進に関する法制度
表3  DOE国立研究所や大学の研究協力と技術移転促進に関する法制度
図1 DOEの国立研究所
図1  DOEの国立研究所
図2 DOE国立研究所の利用研究件数
図2  DOE国立研究所の利用研究件数
図3 DOEの発明数と特許数の推移
図3  DOEの発明数と特許数の推移
図4 DOEのライセンス件数とライセンス収入
図4  DOEのライセンス件数とライセンス収入

<関連タイトル>
原子力分野における知的財産権 (10-07-05-02)
米国エネルギー省(DOE) (13-01-02-08)
アメリカの原子力開発体制 (14-04-01-03)

<参考文献>
(1)米国DOEホームページ、Office, Labs & Technology Centers
http://energy.gov/offices
(2)(株)ニッポンテクニカルサービス、「米国の技術移転市場に関する調査研究報告書」、pp.150-164(平成19年)
http://www.inpit.go.jp/blob/katsuyo/pdf/download/H18usa.pdf
(3)U.S.DOE, Annual Report on Technology Transfer and Related Technology Partnering Activities at the National Laboratories and Other Facilities, Fiscal Year 2007 and 2008 (2009)

(4)A Summary History, Department of Energy 1977-1994

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