<大項目> エネルギーと地球環境
<中項目> 世界のエネルギー情勢
<小項目> エネルギー貿易と市場
<タイトル>
日本の地域別・国別原油輸入量の推移 (01-07-04-03)

<概要>
 日本の原油輸入は、依然中東地域に大きく依存しているという状況は変わらないが、第1次、第2次石油危機を契機に、次第に依存の度合が低下してきている。中東依存度は、石油危機の1973年には80%を割り込み、一時67.4%まで落ち込んだが、1989年以降70%台で推移している。こうした中東依存度の低下は石油危機によってエネルギーのセキュリティ(安全保障)確保に対する政策が重要視され、輸入先地域、国の分散化が積極的に進められた結果といえる。また、産油国による相対的な価格差、日本国内における石油需要構造の変化も、輸入先を変化させた要因として見逃せない。
<更新年月>
2004年02月   (本データは原則として更新対象外とします。)

<本文>
 1950年代の各精油所が有する精製設備は、十分に近代化されておらず、輸入原油も軽質原油であった。サウジアラビアのアラビアン・ライトやボルネオのセリア原油等が輸入の大部分を占めていた。その後、石油精製設備の近代化が進み,装置上軽質油に依存する必要がなくなったことから、サウジアラビアの原油輸入量は年ごとに減少し、クウェート原油等の重質原油の輸入が増大し、原油輸入は対前年比20%から30%の増加を続けた。
 この時期,原油輸入の中東依存度は年ごとに高まり、その一方で、南方をはじめ他地域からの原油輸入比率は相対的に低下した。中東原油の輸入増加の中心は、イランのガッチサラン原油であったが、その埋由は、(1)残漕油への硫黄分の分布が他の中東原油に比べ少なく、そのため、石油製品のうち消費比率の最も高い重油の硫黄含有量を低くすることができること、(2)1961年からカフジ原油の輸入が開始されたが、この原油は高い硫黄分を含むため、その希釈剤として、中東原油としては比較的硫黄分の少ないガッチサラン原油の需要が増大したことなどによる。
 日本経済は著しい発展を遂げ、国民生活水準も向上したが、その一方で、エネルギー消費の増大に伴う、亜硫酸ガスによる大気汚染等のさまざまな公害問題が生じてきた。1967年には「公害対策基本法」、さらに1968年には「大気汚染防止法」が制定公布され、重油を中心とした石油製品の低硫黄化への要請は強まった。その結果、1965年度には,日本の全輸入量の60%以上を占めていた高硫黄原油の割合は年々大幅に低下し、1972年度には18%まで低下した。これに対しイラニアン・ヘビー、イラニアン・ライト、アラビアン・ライト等の中硫黄原油やマーバン、ミナス等の低硫黄原油の輸入量が増大した。かつては日本の全輸入量の30%以上を占め、ベースオイルの地位を保ってきたクウェート原油の輸入量は著しく低下し、これに代わって、イラン原油がその地位を占めるに至った。
 低硫黄化の要請への対応は、原油の地域別依存度にも大きな影響を与えた。原油輸入の中東依存度は、1950年代以降、年々上昇したが、1968年の91.6%を頂点として以後低下を続けた。これに対しミナス系原油を中心とした低硫黄原油主体の南方原油の輸入は大幅に上昇した。またアフリカ地域の原油も、1960年代から輸入されるようになり、1970年ごろからはその量は急激に増加したが、これも低硫黄原油を確保するためのものであった。なおソ連原油については、1967年に勃発した中東紛争によって生じたスエズ運河の閉鎖が輸入の障害となり、その結果、代表的な低硫黄原油であるにもかかわらず、ソ連原油の輸入量は1967年以降著しく低下した。
 1973年秋、OAPEC(Organization of Arab Petroleum Exporting Countries:アラブ石油輸出国機構)諸国は第4次中東戦争を契機として、石油を武器とする戦略を発動し、原油生産の削減、イスラエル支持国への禁輪等の措置を断行した。また同じ時期、OPEC(Organization of Petroleum Exporting Countries:石油輸出国機構)諸国は原油公示価格の大幅な引き上げを行い、たとえばサウジアラビアのアラビアン・ライトの公示価格は、石油危機前には約3ドルであったものが、1974年1月には約12ドルまで上昇し、わずか4カ月の間に一挙に4倍に値上がりした。
 日本の原油輸入量の推移を図1に、また、2001年度における地域別、国別原油輸入量の状況を図2に示す。
 日本の原油輸入が大きく中東に依存しているという状況は、石油危機以降も変わらない。2001年度には約88%を中東から輸入している。1960年代から始まった輸入比率の漸減傾向も続き、昭和48(1973)年度には80%を割り込み、以後ほぼ70%台で推移した。これは、中国やメキシコ等中東以外の国々からの輸入が増大したことが主な原因となっている。中東地域における国別輸入状況の変化の中で最も注目すべきことは、従来日本のベースオイルとして全輸入量に対して大きなウエイトを占めてきたイラン原油がその地位を急速に低下させたこと、これに代わって、1975年度から1984年度まではサウジアラビア、1985年度以降はアラブ首長国連邦(UAE:United Arab Emirates)が日本への最大の原油供給国となったことである。
 南方地域(東南アジア)は、中東に次いで日本への原油供給量の多い地域であり、かつ低硫黄原油のおもな供給地域であるが、石油危機以降の日本経済の深刻な不況によるB、C重油の需要の減退等の影響により、1973年度をピークに一時期輸入量は減少した。しかし、景気の回復に伴いB、C重油の需要が回復したこと、性状の似かよっているアフリカ原油の輸入が減少したことなどにより、1976年度から増加に転じ、以後毎年構成比を高め、1979年度には構成比が20%を超えるまでになり、その後は16〜19%台で推移している。
 中東および南方以外の地域については、輸入量の増加している中国原油の輸入が注目される。また、アフリカからの輸入は、一時期輸入量が増大したが、原油価格が割高であることなどが影響して、1974年度をピークに輸入量は減少したが、近年はまた増加傾向にある。
 ソ連原油については、1973年度からチュメニ原油の輸入が開始され、輸入量の増加が期待されたが、翌年、日ソ経済合同委員会のチュメニ油田開発計画交渉が暗礁に乗り上げたため、チュメニ原油の輸入が止まり、1974年度以降輸入は激減した。また1980年5月以降、日本メキシコ政府間協議によりメキシコ原油の輸入が行われている。
 今後、長期的な石油需給の逼迫化傾向の中で原油輸入において、さらに一層外的要因が強く働くことが予想される。
 特に、石油製品の需要の軽質化傾向の中で、産油国の軽質原油供給力は中長期的には限界があるとされている。そのため、重質原油からできるだけ多くの軽質石油製品を生産する技術開発など国内的な対応を、輸入先分散化の努力と合わせて進めていく必要が高まっている。
<図/表>
図1 日本の原油輸入量の推移
図2 日本の地域別、国別原油輸入量状況(2001年度)

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<参考文献>
(1)資源エネルギー庁(監修):1999/2000 資源エネルギー年鑑 、通産資料調査会(1999年1月)、p.261
(2)資源エネルギー庁(監修):資源エネルギーデータ集 1996年版、(株)電力新報社(1996年4月)、p.65-67
(3)通商産業省資源エネルギー庁石油部(監修):石油資料、石油通信社(1996年8月)、p.130-135
(4)通商産業省資源エネルギー庁石油部(監修):石油資料、石油通信社(1998年8月)、p.138-139
(5)日本石油株式会社(編):石油便覧・1994、燃料油脂新聞社(1994年3月1日)
(6)日本エネルギー経済研究所計量分析部(編):EDMC/エネルギー・経済統計要覧(2003年版)(2003年2月) p.148-149
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