1.内外の原子力関係の出来事
年 |
月日 |
国内 |
国外 |
1940年 (昭和15年) |
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理研でサイクロトロン製C‐11を利用した光合成の研究行われる |
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ウラン爆弾計画を安田武雄陸軍航空技術研究所長に進言 仁科芳雄 |
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2/27 |
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質量分析器によるU-235の分離 ニール(米) |
2月 |
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米軍、ウラン研究に6000ドル援助(研究機関・大学への資金援助始まる) |
3/9 |
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ノルウエーの重水在庫分、仏へ |
3~4月 |
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米コロンビア大、U‐235の核分裂性実証 |
3月 |
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U-235による原爆の可能性、U-235の分離、原爆機構の概要を書いた書簡を英空軍科学調査委委員長に送る パイエルス、フリッシュ(英) |
3月 |
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93番元素Npの生成 マクミラン、アーベルソン(米) |
4/10 |
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英、核分裂軍事利用検討委員会設置 |
5月 |
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独、酸化ウラン155kg、15トンのドライアイスで臨界未満実験行う |
5月 |
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ウランの自発核分裂発見 フルーロフ、ペチャーク(ソ) |
6月 |
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仏のU研究、独の侵攻により中断 |
6/17 |
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仏の重水ストック、英へ |
6月 |
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米、遠心法によるU濃縮研究始める |
6/27 |
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米ウラン諮問委、新設の国防研究委員会の傘下に |
8月 |
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英オックスフォード大、ウラン濃縮の研究開始 |
11/18 |
Na-24の体内循環のデモンストレーションを行う 仁科芳雄 |
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11月 |
湯川秀樹共著『原子核及び元素の人工変換』(下巻) 菊池正士 |
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12月 |
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英ケンブリッジ大、天然ウラン重水系の指数関数炉実験行われる |
1941年 (昭和16年) |
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理研でN-14を使用して窒素固定、窒素交換反応の研究行われる |
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94番元素プルトニウム(Pu)発見 シーボルグ(米)ら |
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理研でP‐32、Cu‐64を使用する生物研究・金属研究が行われる |
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1月 |
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英ICI社、英原爆計画に本格的に参加(とくにウラン濃縮を担当) |
4月 |
陸軍航空技術研究所、ウラン研究を理研に依頼 |
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4月 |
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全米科学アカデミー、ウラン問題検討のための再審委設立 |
5月 |
海軍、ウラン爆弾に関心示す |
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5/17 |
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米科学アカデミー・ウラン問題再審委、原爆の早期完成の望みは薄いと述べる |
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旭化成延岡、水の電解による重水水製造試験研究を実施 |
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5/19 |
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英原爆委、U濃縮試験工場の設置決める |
5月 |
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U‐238の利用とPuによる核分裂連鎖反応の可能性示唆 ローレンス(米) |
6月 |
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ソ連のU研究、独ソ戦開始で中断 |
6/28 |
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米、科学研究開発局設置(大統領直轄機関で科学資源の動員と国防への応用をめざす) |
7/11 |
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米ウラン問題再審委、Pu‐239型原爆の可能性を示唆 |
7/15 |
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英原爆委最終報告、ウラン濃縮の工業化と3年以内に原爆完成可能 |
10/11 |
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チャ−チル英首相に「原爆製造計画の共同実施」を提案(英側、返答を2カ月延ばす) ルーズベルト大統領 |
11/6 |
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米ウラン問題再審委、U‐235型原爆の可能性と第二次世界大戦における役割を指摘 |
12/6 |
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米科学研究開発局、ウランS‐1部新設(原爆開発の具体的方針の検討、資源の動員きめる) |
1942年 (昭和17年) |
1/31 |
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米、Pu‐239生産方法開発のため(暗号名:冶金計画)、シカゴ大学に冶金研究所設置 |
2/26 |
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独、ウラン・プロジェクト正式発足(原爆より重水炉に重点) |
2~4月 |
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英原爆開発グループ使節団、米英の計画統ーのため渡米 |
5/14 |
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米科学研究開発局S‐1部、ウラン濃縮方法として遠心法、気体拡散法、電磁法を、またプルトニウムの生産方法として、黒鉛炉と重水炉方式を全て並行して進めることを決める |
6/18 |
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米原爆計画、軍の管理下(陸軍技術本部の新設管区マンハッタン管区)に入る(別名マンハッタン計画) |
7/8 |
海軍技術研究所、原爆及びレーダーの研究開発を検討するため「物理懇談会」設置(議長仁科芳雄) |
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7月 |
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英ICI社、ガス拡散によるウラン濃縮で政府と契約 |
9/10 |
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世界最初のプルトニウム化合物の分離、秤量行われる カニンガム、ウエルナー(米) |
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ソ連、U‐235の分離に成功 |
11/5 |
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米、ウランの電磁分離工場Y−12建設許可(翌年3月建設開始) |
11/7 |
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米、冶金計画グループ、シカゴ大学構内に世界最初の原子炉CP-1(天然ウラン黒鉛型)の建造開始 |
11月 |
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米、原爆研究所をロス・アラモスに設置決める |
12月 |
理研、ウラン分離の研究はじめる |
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12/1 |
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米、Pu生産炉敷地にハンフォード選定(建設運営はデュポン社) |
12/2 |
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世界最初の核分裂連鎖反応の制御に成功(原子炉CP-1完成) フェルミら |
1943年 (昭和18年) |
1月 |
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米、シカゴ郊外にU、Pu等の核物理的性質の研究のためアルゴンヌ研究所設置 |
2/11 |
理研220トン大型サイクロトロン組立て終了(加速エネルギー:重陽子18MeV、陽子29MeV) |
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2月 |
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米、Pu生産試験用黒鉛減速軽水冷却炉(X-10)をオークリッジで建設開始 |
3月 |
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米、オークリッジでY-12(ウラン電磁分離)工場の建設はじまる |
3/6 |
物理懇談会、「原子力の活用は日本の工業力では実現困難」「米も今大戦中には実現しない」との理由で解散 |
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3/20 |
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天然ウラン黒鉛炉CP-2臨界(10kW、アルゴンヌ研究所) |
5月 |
軍に原爆の可能性と熱拡散によるウラン分離の妥当性を示す 仁科芳雄 |
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5/12 |
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米英首脳会談でU問題を持ち出し米国の協力を要請 チャ−チル首相 |
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海軍、京大(荒勝研究室)にウラン分離の研究を依頼 |
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6/7 |
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米ハンフォードで第1号Pu生産炉建設開始 |
8/11 |
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加ケベックで原爆計画に関する米英首脳会談行われる(〜8/24) |
8/19 |
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米英、ケベック協定調印。カナダ協定実施上の協力者となる |
8月 |
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英科学者グループ、ケベック協定に基づき米国へ移る |
8月 |
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ソ連の原子力開発再開(ソ連国家防衛委、クルチャトフを原子力問題研究科学主任に任命) |
9/8 |
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ワシントンでケベック協定に基づく3国合同政策委初会合 |
9/10 |
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米、オークリッジで気体拡散工場K-25建設開始 |
11/4 |
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米ORNLの原子炉クリントン・パイル臨界(X-10、天然U黒鉛型、500kW) |
11月 |
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オークリッジ電磁分離工場Y-12操業−照射済燃料の最初の化学処理行う |
12月 |
理研でウラン熱拡散分離塔の建設 |
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2.社会一般の出来事
年 |
月日 |
国内 |
国外 |
1940年 |
2/5 |
文部省科学課設置、科学行政の強化へ |
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10/12 |
挙国一致体制の中心機関である大政翼賛会が発足 |
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1941年 |
3/1 |
国民学校令公布 |
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12/8 |
日本、真珠湾攻撃。太平洋戦争はじまる |
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1942年 |
2/21 |
食糧の国家管理を目的とした食糧管理法公布 |
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4/18 |
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米B25爆撃機、日本本土を初空襲 |
1943年 |
1/31 |
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スターリングラードで独軍敗北 |
2/7 |
日本軍、ガダルカナル島撤退 |
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8/20 |
科学研究の緊急整備方策要綱を閣議決定。大学を含め一切の科学技術機関での研究を戦争目的に一本化 |
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<参考文献>
(1) 日本原子力産業会議(編):原子力年表(1934-1985)、日本原子力産業会議、1986年11月
(2) 伊東 俊太郎ほか(編):科学史技術史事典、弘文堂、1983年3月、
(3) 国立天文台(編):理科年表 1998、丸善、1997年11月、p.624-632
(4) 樺山 紘一ほか(編):クロニック 世界全史、講談社、1994年11月
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