日本最初の発電用原子炉。正式名称は「動力試験炉」で、JPDRは英語名のJapan Power Demonstration Reactorに由来する。電気出力 12.5MWのBWR型発電プラント。原子力発電所の建設、運転、保守の経験を得ること、運転試験を通じて発電用原子炉の特性を理解すること等を目的に建設された。日本原子力研究所(当時、以下「原研」と略称)が米国ゼネラルエレクトリック(GE)社と1960年8月に建設契約を締結し、原研東海研究所内に建設して1963年10月に発電を開始した。その後、熱出力を倍増したJPDR-IIへの改造計画が進められたが、不具合の発生により全出力を達成することなく1976年3月にJPDR-IIの運転を終了した。閉鎖後は、将来の商業用発電炉の解体技術開発に向けた実地試験に供され、1986年から本体の解体を開始して1996年3月31日に解体が完了した。JPDRとJPDR-IIの運転経験で得られた知見はその後の商業原子力発電所の建設・運転及び多発した応力腐食割れの原因究明と防止対策に多大な貢献をした。