ウラン残土

ウラン残土 うらんざんど

 ウラン残土とは、1956〜67年ごろに岡山、鳥取県境の人形峠周辺で原子燃料公社(現、日本原子力研究開発機構の前身;以下、原子力機構と呼ぶ)がウラン探鉱活動を行った際、坑口付近に長期間にわたり堆積された放射性物質を含む土砂等をいう。ウラン残土の問題が1988年に新聞で報道され、これをきっかけにして2000年(平成12年)に鳥取県湯梨浜町方面(かたも)地区からウラン残土の撤去要求の訴訟が起こされ、鳥取地裁の判決を踏襲した2004年(平成16年)10月の最高裁の決定で「ウラン残土(約3千立方メートル)を撤去せよ」の判決が確定した。これを受けて、原子力機構は比較的ウランを多く含むウラン残土の一部(約290立方メートル)を海外に運んで製錬を完了した。残りのウラン残土は、原子力機構、文科省、鳥取県及び地方自治体との協定により方面(かたも)地区にある約2710立方メートルの全量を鳥取県有地に搬入する。県有地にレンガ製造施設を建設し、レンガに加工し県外に搬出して、2012年までに終了し、レンガ工場を更地にもどすことが合意された。


<登録年月> 2006年09月

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