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<概要>
 兵器の不拡散に関する条約(NPT)は1970年3月に発効し、核兵器国(1967年1月1日前で核兵器を保有していた米国、英国、フランス、ロシア、中国の5か国)の数を増やさないことにより核戦争の可能性を少なくすることを目的としている。加盟国の義務として、(1)核兵器国は、核兵器等を他国に移譲せず、また、その製造等について非核兵器国を援助しない、(2)非核兵器国は、核兵器の受領、製造又は取得をせず、製造のための援助を受けない、(3)非核兵器国は、国際原子力機関(IAEA)の査察を含む保障措置を受け入れる、また、権利として、(4)全ての締約国は、原子力の平和的利用のため、設備、資材及び情報の交換を容易にすることを約束し、その交換に参加するできることになっている。1995年4月にNPT運用検討会議を開催し、NPTの無期限延長を合意事項として決定した。その後、運用検討会議は2000年と2005年に開催された。2005年11月現在の締約国数は189か国に達するが、インド、パキスタン、イスラエルのような原子力技術を有する国が依然としてNPT未締結である。
<更新年月>
2006年03月   

<本文>
1.NPTの概要
1)条約ができるまでの経緯
 第二次世界大戦で人類史上初めて広島、長崎において核兵器が使用された。核兵器の被害は極めて大きく、また、一般市民が無差別かつ大量に殺傷される。そのため、核兵器が登場した直後から、その廃絶が人類共通の目標として強く主張されるようになった。しかし、自由主義諸国と共産主義諸国の二大陣営が軍事的に対立する冷戦が本格的に始まり、米国とソ連は、自らの核軍備が相手より優位になるように、激しい核軍備競争を繰り広げた。米国と旧ソ連が核兵器を相次いで開発・保有した後、英国、フランス、中国が保有するに至った。
 1960年代に、米国のケネディ大統領は、このまま核兵器の拡散が進むと1970年代には核保有国が15〜20か国にまで増えると警鐘を鴫らし、核不拡散に取り組む必要性を訴えた。こうして、「核兵器の不拡散に関する条約」(核兵器不拡散条約または核不拡散条約:Treaty on the Non−Proliferation of Nuclear Weapons,NPT)は1968年に作成され、1970年に発効した。
2)核兵器不拡散条約(NPT)の概要
 NPTは、核兵器を持つ国が増加すること(水平的拡散)を防ぐことにより、核戦争の可能性を少なくすることを目的としている。同条約では、1967年1月1日前に、核兵器その他の核爆発装置を製造し、かつ爆発させた国を「核兵器国」と定め(第9条3)、米国、英国、フランス、ロシア(ソ連解体後は旧ソ連と継続性を有する同一の国家とされたロシア)および中国の5か国が該当する。この5か国以外の「非核兵器国」への核兵器の拡散を防止するとともに、核兵器国に核軍縮交渉を義務付けることを目的とする条約である。1968年7月に署名のために開放され、1970年3月に発効した。日本は1970年2月に署名、1976年6月に批准している。NPTは前文、本文11箇条および末文から構成され、概ね、次の4つの項目について規定している(表1)。
 (1)核不拡散の義務:核兵器国による核兵器の移譲等の禁止[第1条]、非核兵器国による核兵器の受領や製造の禁止[第2条]等を定めている。締約国である非核兵器国が国際原子力機関(IAEA)の保障措置を受諾する義務を負うと規定している[第3条]。(2)原子力の平和的利用の権利:IAEA保障措置の受入れ義務を課し、非核兵器国による核物質・施設の軍事転用の防止を目指している。その一方で、平和的目的のための原子力研究、生産、利用については、「すべての締約国の奪い得ない権利」であると定めている[第4条])。すなわち、すべての締約国に、原子力の平和的利用のため設備、資材、科学的・技術的情報の交換を行う権利を認めている[第4条2]。(3)核兵器国の核軍縮交渉義務:非核兵器国における原子力の軍事転用を防ぎつつ、締約国が核軍縮交渉を誠実に行う義務を定めている[第6条]。(4)手続事項:その運用状況を検討する会議を5年毎に間催し[第8条3]、条約の効力発生の25年後には、条約が無期限に効力を有するか、または、ある一定期間延長するかを決定するために会議を開催する[第10条2]。1995年の運用検討・延長会議では、NPTが無期限延長されることとなった。
2.国際的な核不拡散体制の進展
 NPTは、最も成功した軍縮・不拡散条約の一つであり、1970年の発効以来、国際的な核不拡散体制の中心として、国際平和と安全の維持に貢献してきた。この条約には、米国、英国、フランス、ロシア(旧ソ連)、中国の5核兵器国の他、日本、カナダ、ドイツ、スウェーデン、スイス等の先進原子力技術を保有する非核兵器国が締約国となっている。その後、国際情勢の変化を受け1990年代には51か国が締約国になり、2000年になってから、キューバ(2002年)、東チモール(2003年)が加入して、締約国は189か国となった。(表2−1表2−2表3
 締約国189か国は、多国間の軍備管理・軍縮条約の中では最多であり、国連の加盟国数191か国(2005年12月現在)と比較すれば、NPTの普遍性が高まったといえる。1990年代以降の加入国で特筆すべきこととして、1991年、南アフリカの保有核兵器の放棄、1992年、フランスと中国の条約批准、核兵器をロシアに移管したカザフスタン、ベラルーシ、ウクライナの1993年から1994年までに非核兵器国化、また、ブラジルとアルゼンチンの核開発計画放棄(アルゼンチンは1995年、ブラジルは1998年)、さらに、2002年のキューバの条約批准が挙げられる。
3.揺らぐ核不拡散体制
 上記のようにNPTの普遍性が高まる一方で、1990年代以降、NPTを基礎とする国際的な核不拡散体制に対して重大な挑戦が生じている。イラク、北朝鮮、イラン、リビア、のNPT不遵守に関する問題は、条約の信頼性を損なうばかりか、NPT体制を内側から瓦解させる可能性をもつ。さらに、NPT非締約国による核保有の問題がある。1998年にNPT非締約国であるインド、パキスタンが相次いで核実験を実施し、この両国が核兵器の製造能力を保有しているという現実は続いている。また、イスラエルは核保有を確認も否認もしないとの方針を採っている。
1)イラク
 イラクでは、IAEAの包括的保障措置が適用(1969年NPT加入)され、1991年4月3日の国運安保理決議第687号で、イラクにNPT条約下の義務の無条件遵守を求めていたにもかかわらず、保障措置協定に違反して秘密裡に核兵器開発計画が進められていた(電磁法や遠心分離法によるウラン濃縮およびプルトニウムの分離・抽出を実施していた)ことが、湾岸戦争(1991年1月17日〜2月28日)後に明らかになった。国連及びIAEAは、これらの核物質を押収するとともに関連施設を破壊し無力化した。
 また、2002年末以来、イラクの大量破壊兵器の保有疑惑が国連安全保障理事会で議論されていたが、2003年3月18日未明、米・英軍は対イラク軍事攻撃を開始した。米・英をはじめとする連合軍がイラク攻撃の根拠としたのは、両国の諜報活動に基づく情報分析結果で、イラクが核・生物・化学兵器という大量破壊兵器をいつでも使用できる状態にあり、国連査察から隠ぺいする計画を進めていると指弾し、世界に脅威を与えていると主張していた。これに対し、IAEAは、イラクにおけるその検認活動に基づき、イラクの核再開発を裏づける確たる証拠を得たとはしていなかった。2004年3月に、国連監視検証査察委員会(United Nations Monitoring, Verification and Inspection Commission:UNMOVIC)は、「イラクは1994年以降、特別な大量破壊兵器は保有していなかった」とする定例報告書をまとめた。また、イラクで大量破壊兵器の捜索に当たっていた米調査団は、2004年10月、前年の対イラク開戦時、同国に大量破壊兵器は存在しなかったとの最終結論を明記した報告書を発表した。さらに、ブッシユ米大統領が設置した独立委員会(2001年9月11日の米同時多発テロを調査・検証する委員会)は、2004年7月に報告書を公表、長年のテロ事件に対する危機感の欠如を指摘し、再発防止策として、連邦政府の情報機関を統括する新機関の設立と連邦議会による監視体制強化を提言た。
2)北朝鮮
 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は、1993年3月12日、NPT脱退を安保理に通知したが、6月11日、「NPT脱退発効の中断」を表明する米朝共同声明が発表され、北朝鮮はNPTにとどまった。北朝鮮は、2002年10月に米国政府の訪朝団に対し、ウラン濃縮計画を認め、12月に核凍結解除を発表、黒鉛実験炉等の施設で、IAEAの封印を撤去し監視カメラの機能を停止させ、IAEA査察官の国外退去等の措置をとり、2003年1月にNPT脱退の意図を表明した。
 2003年から2004年まで、日本をはじめとする各国は、G8エビアン・サミット、ASEM(アジア欧州会議)外相会合、IAEA総会等の場で、NPT脱退の決定など北朝鮮の相次ぐ行為は、国際的な核不拡散体制に対する深刻な挑戦であるとして、核兵器計画の廃棄や保障措置の遵守等を求めた。さらに、北朝鮮と米国、中国、日本、韓国およびロシアによる6か国協議が、2003年8月から2005年11月までの間、北京で5回開催され、北朝鮮の完全核放棄とNPTへの復帰の確約を盛り込んだ「共同声明」を採択した(2005年9月)。この声明は、朝鮮半島非核化への道筋を一定の拘束力ある形で明示したものである。同年11月22日に、朝鮮半島エネルギー開発機構(Korean Peninsula Energy Development Organization: KEDO)は、ニューヨークの理事会で軽水炉建設事業を廃止することで合意した。これを受け、北朝鮮は同年12月20日、「ブッシュ政権は軽水炉提供を放棄した」と米国を非難、独自で黒鉛減速炉の建設を再開するとともに軽水炉を建設し自衛力強化を図る意向を表明した。今後の6か国協議では、核放棄の手順や検証方法について紛糾しそうである。
3)イラン
 イランは、1960年代後半から原子力活動を開始し、当初は米国や西独(当時)、その後、中国やロシア等の協力を得てきた。1970年にNPTに加入し、1974年にはIAEAとの間で包括的保障措置協定を締結した。1995年以降は、ロシアの協力の下、ブシェールに100万キロワット級の軽水炉の建設を進めるなどの活動を行ってきた。
 2002年8月、ナタンズおよびアラクにおける大規模原子力施設の秘密裏の建設が発覚、イランの核問題がIAEA等の場で大きく取り上げらた。その後、IAEAによる検証活動等を通じて、イランが長期間にわたり、ウラン濃縮やプルトニウム分離を含む原子力活動をIAEAに申告することなく繰り返していたことが明らかとなり、国際社会はイランに対してIAEA理事会決議のすべての要求事項の履行を強く求めた。これに対し、イランは、一貫して核兵器開発の意図はなく、すべての原子力活動は平和目的であると主張し、2003年12月には、追加議定書に署名するなど前向きな対応を見せた。
 しかし、イランは、2006年1月にナタンズでのウラン濃縮関連活動を再開した。2月4日、IAEA特別理事会は、本件を国連安保理に報告する決議を採択した。国連安保理は3月14日、イランの核開発問題についてIAEAからの付託後、初めて全理事国15か国で審議した。英仏両国は、イランにウラン濃縮などの核関連活動停止を求め、IAEA事務局長は議長声明案の骨子を各国に提示した。議長声明採択までには協議難航が予想される。
4)リビア
 2003年2月19日、ブッシュ大統領とブレア首相がそれぞれ記者会見し、リビアが核兵器等の大量破壊兵器(Weapons of Mass Destruction:WMD)を開発していた事実を認めた上で、即時かつ無条件の廃棄を約束したと発表した。また、同時期に、IAEA事務局長はリビア高官からWMD関連資材を廃棄する意思を伝えられ、同国が10年以上にわたってウラン濃縮能力の開発に携わり、施設は既に解体されていたことが明らかにされた。同国のウラン濃縮計画は開発初期のもので、いかなる濃縮ウランも生産されることはなかったという。リビアは、2004年1月に包括的核実験禁止条約(Comprehensive Nuclear Test Ban Treaty: CTBT)の批准、2月に化学兵器禁止条約(Chemical Weapons Convention:CWC)の批准を行うとともに追加議定書の批准を表明した。
5)インド、パキスタン
 インドは、従来から、NPTは不平等な内容の条約であって受け入れられないとの立場にあり、NPT加入を拒んでいる。また、パキスタンも、インドがNPTに加入しない限り、自国の安全保障上の観点からNPTに加入しないとの立場をとっている。このような中、1998年5月、インド・パキスタン両国により相次いで行われた核実験により、国際的な核不拡散体制は重大な挑戦に直面した。CTBTが国際的な議論を経てようやく採択(1996年)されてから僅か2年しか経たない時期に行われたこれらの核実験は、国際的な核軍縮努力に逆行するものとして重く受け止められた。
 なお、インドは1974年に最初の地下核実験を行っており、これが契機となって、1977年、原子力に関連する品目の輸出管理に関する原子力供給国グループ((Nuclear Suppliers Group:NSG)が設立された。それ以来、インド政府は一貫して「核オプションを保持する」との立場を示してきたが、1998年の政権交代により、「核オプションを行使する」より強硬な姿勢を示し、同年5月、地下核実験に踏み切った。2003年1月、インドは安全保障閣僚会議において、核抑止力の構築・維持、核指揮当局による核報復攻撃の運用、核実験のモラトリアム継続等からなる核戦略を決定し公表した。
 2004年2月、パキスタンのムシャラフ大統領は記者会見で、「核開発の父」と呼ばれるカーン博士を含む科学者が、核関連技術の国外流出に関わっていたことを明らかにした。
北朝鮮が流出先の一つとされていることについて、日本は、日本の安全保障上の重大な懸念を構成しうるものであるとし、パキスタンに対し再発防止策等を講ずるよう強く求めている(2004年2月末現在)。
 2006年3月には、インドと米国が民生用の原子力技術協力で合意した。この合意により、インドは増大するエネルギー需要に対応するため米国の原子力技術を利用できるようになる。今回の合意は、NPTを締結しないまま核を保有するインドを核管理体制に組み込む狙いがあったものの、核査察の面では、インドに自発的な査察を認めることで核保有国と同じ扱いとなり、六番目の核大国として認知したことになる。
6)イスラエル
 イスラエルは中東においてNTPに加入していない唯一の国であり、また、CTBT、BWC(生物兵器禁止条約)、CWC等の大量破壊兵器の軍縮・不拡散のための条約も批准していない。またイスラエルは、既に核兵器を保有していると言われているが、イスラエル政府自身は、核兵器の保有を確認も否認もしないとの立場をとっている。中東諸国は一貫してイスラエルの姿勢を批判している。これに対し、イスラエルは、イスラエルの破壊を主要な政策にしている国々に囲まれていることを理由に挙げ、イスラエルのみが軍縮・不拡散を進めることはできないとの立場を堅持している。
4.NPT運用再検討会議
 会議の概要を表4に示す。
<図/表>
表1 核兵器の不拡散に関する条約(NPT)の内容
表1  核兵器の不拡散に関する条約(NPT)の内容
表2−1 NPT加入国一覧(2005年1月現在)
表2−1  NPT加入国一覧(2005年1月現在)
表2−2 NPT加入国一覧(2005年1月現在)
表2−2  NPT加入国一覧(2005年1月現在)
表3 NPTと国際原子力機関(IAEA)との関係
表3  NPTと国際原子力機関(IAEA)との関係
表4 NPT運用再検討会議の概要
表4  NPT運用再検討会議の概要

<関連タイトル>
国際原子力機関(IAEA) (13-01-01-17)
核物質防護条約 (13-04-01-02)
保障措置のあらまし (13-05-02-01)

<参考文献>
(1)核不拡散条約(NPT)の概要http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kaku/npt/gaiyo.html
(2)原子力白書平成4年(1992)版:第I部、第1章、1.核兵器の不拡散等をめぐる国際情勢と原子力
(3)原子力委員会(編):原子力白書平成7年版、大蔵省印刷局(1996年1月)
(4)(社)日本原子力産業会議(編集発行):原子力年鑑平成7年版(1995年10月)
(5)(社)日本原子力産業会議(編集発行):原子力年鑑2005版各論(1995年10月)
(6)日本の軍縮・不拡散外交(平成16年4月)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/gun_hakusho/2004/
(7)(社)日本原子力産業会議:原子カボケットプック2005年版(2005年7月15日)
(8)外務省原子力課(監修):原子力国際条約集、(社)日本原子力産業会議(1993年6月)
(9)インドと米国、民生用の原子力技術協力で合意

(10)米、インドに核協力、首脳会談合意、技術輸出の規制解除

(11)Treaty on the Non−Proliferation of Nuclear Weapons

(12)Multilateral Arms Regulation and Disarmament Agreements

(13)NPT(in chronological order by deposit)

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